無事に全員、上陸する
ローマ皇帝カイザルに上訴したために、パウロはイタリアへと護送されることになった。彼は他の囚人、兵士、百人隊長、水夫、弟子と共に船に乗り込んだ。航海の途中、パウロは旅の危険について警告するのであったが、さすがにパウロに好意的であった百人隊長ユリアスも、この時ばかりはユダヤの教師であるパウロよりも、船と海に精通している航海士の意見を優先させたのであった。残念ながらユリアスは、パウロを「善い教師」としか思っていなかったようである。航海の危険を告げたのはパウロであるが、その知識をパウロに伝えた存在については気付いていなかったようである。
さて、パウロが警告したように、彼らは暴風に巻き込まれ、「太陽も星も見えない日が幾日も」続いたのだった。当然ながら、人々は望みを失い始めたのだった。しかし、そのような状況であっても、パウロだけは望みを失わなかったのである。なぜなら、パウロは神の御使いからこのように告げられていたからだ。「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」この航海ではどのような危険が起こっても、誰も命を失わないことをパウロは確信していたのである。
やがて船はどこかの浅瀬に辿り着いたのであった。囚人が逃亡することを恐れた兵士たちは、囚人を殺そうと考えたが、なんとしてもパウロを助けたいと思ったユリアスは兵士たちを押さえ、全員が船から逃れることができるようにしたのである。
そして全員、無事に陸地に上がることができたのだった。
パウロひとりのために、その場にいた全員を神が助けたのである。パウロと使徒だけを助けることもできたのであるが、神はそれ以外の人々をも助けたのだった。神の慈悲深さとでも言おうか。すべての人々が救われることを望んでいる神はむやみに人を滅ぼすようなことはなさらないのである。
もしかしたら、パウロが乗船していた船の全員を救ったように、今でも同じようにして、神は人々を守っているのかもしれない。人がそれに気付かないだけで。