もったいなーい!
しばらく聖書日記を更新していなかったけど、聖書を読んでいなかったわけじゃないですよ。ちゃんと22章、23章、そして今夜は24章を読みました。ちょっと仕事が忙しくて家に帰ってきて、聖書を読んだ後に日記を書くだけの体力がなかったわけさ。「種々雑多」の方は会社で休み時間にこちょこちょ書いて携帯から投稿するからよかったのだけれど、聖書日記は聖書を家で読んだ後でしか書けないんだな。
さて、パウロがエルサレムでユダヤ人たちに捕らえられた後、一部のユダヤ人たちが彼を殺そうと画策していた。ちょうどその知らせが、千人隊長の耳に入ったので、隊長はパウロを保護せんがために護衛をつけてローマ総督のいるカイザリヤの都まで送り届けたのだった。そして、ローマ総督の前でユダヤ人たちとパウロは互いの意見を主張するのであった。まぁ、言ってみればユダヤ人たちが原告側で、パウロが被告側であったのだろう。
原告側の訴えは「ユダヤ人の間に騒ぎを起こしており、神の宮を汚そうとしている」ということであった。そして、パウロの弁護は「それはでたらめである」ということであった。で、判決が出たかというと、そういうわけでもない。なんだかんだで、結局パウロは2年以上も拘束されたままになるのである。
しかし、この総督…実に煮え切らない人物である。2年間にも渡って偉大な信仰者であり伝道者であるパウロと折を見て話あっていたわりに、良くも悪くも何も行動をしていないのである。悪ければ、パウロをさっさとユダヤ人に引き渡したであろうし、良ければ、パウロを保護して、その活動を支えて、自らも信仰を持つに至ったかもしれないが…結局そうもならなかったのである。要するに、話を聞くばかりで何もしなかったのだ。
だからといって、このローマ総督を馬鹿にすることができるかというと、そうもできない気がする。今までの自分の信仰の歩みを振り返ってみても、どこかこの人物と似ているところがあるような気がする。13年間クリスチャンをやってきて、最初の頃は信仰に熱心で、聖書を勉強することも多かったが、やがて時間が経つと、そうすることもなくなり、聖書を漠然と読むだけで「だからどうした?」ってな具合に日々過ぎていくことが多くなった。今でこそ、こうして読んだことを記録に残し、色々考えたり、反省したりしているが、そうでない日々の方が長かったようにも思える。
聖書という神のことばに日々接していながら、それを気にせずに過ごすとは、罪なことというより、勿体ないことと言えるのだろう。聖書という書物は、読む人に対してプラスに働くからだ。