津本陽「雑賀六字の城」
津本陽の「雑賀六字の城」を読んだ。この本を読んだきっかけは、ちょっと前に読んだ司馬遼太郎の「尻啖え孫市」
と、同時代同郷の人物について書かれていたから興味を持ったからである。どちらの作品でも雑賀衆の兵士としての強さが書かれている。実際によほど強かったのだろう。信長との決戦の後、雑賀の兵士らがどのような道をたどったのか、興味があるので、いつかどこかでその辺についても読んでみたいものだ。
彼らの強さの秘密はなんだろうか。確かに、当時最新であった鉄砲(火縄銃)だの大砲を持っており、それらの武器を扱う類い希な才能があったからであろう。海に面していたから、操船の技術も巧みであり、水軍としても優れていたという。
しかし、それらが彼らの強さの秘密であったかというと、そうでもなさそうだ。やはり彼らの強さは、彼らの浄土真宗の門徒としての信仰心であろう。ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱え、阿弥陀如来を信じることで、死後極楽浄土へ行けるという確信があったからである。死後の不安も恐れも彼らにはなかった。同郷の者同士、同じ信仰の元で戦う彼の前に、高名と将来の栄光のために戦う信長の軍勢は、数の上では大いに勝っていたにもかかわらず、なかなか勝利を納めることができなかったという。最後には和睦という形をとることで戦は終わったのであった。
信仰する対象に違いこそあれ、信仰というものは良くも悪くも死をも恐れぬ人を作り出すということは、いつの時代でも、どこの場所でも共通なのであろう。
彼らの強さの秘密はなんだろうか。確かに、当時最新であった鉄砲(火縄銃)だの大砲を持っており、それらの武器を扱う類い希な才能があったからであろう。海に面していたから、操船の技術も巧みであり、水軍としても優れていたという。
しかし、それらが彼らの強さの秘密であったかというと、そうでもなさそうだ。やはり彼らの強さは、彼らの浄土真宗の門徒としての信仰心であろう。ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱え、阿弥陀如来を信じることで、死後極楽浄土へ行けるという確信があったからである。死後の不安も恐れも彼らにはなかった。同郷の者同士、同じ信仰の元で戦う彼の前に、高名と将来の栄光のために戦う信長の軍勢は、数の上では大いに勝っていたにもかかわらず、なかなか勝利を納めることができなかったという。最後には和睦という形をとることで戦は終わったのであった。
信仰する対象に違いこそあれ、信仰というものは良くも悪くも死をも恐れぬ人を作り出すということは、いつの時代でも、どこの場所でも共通なのであろう。