認め合うこと | あるキリスト者のつぶやき…

認め合うこと

昨日は書きそびれてしまったけど、使徒の働き15章を読んだ。んで、今日は16章を読んで、ちゃんと続けて読むことができてます。ふむふむ。


さて、昔々…に限ったことでもないかもしれないけど、少なくとも使徒が宣教を始めた時代には、ユダヤ人の改宗者(つまり元ユダヤ教徒)と異邦人の改宗者(こちらは元異教徒)がおったそうな。当然背景が違うこともあれば、ユダヤ人には旧約聖書の「歴史」だの「伝統」だのといったプライドもあったわけで、ある時意見が衝突したのである。要するに、異教からの改宗者たちもユダヤ人の慣習に従うべきであるかどうかと。まぁ、神が救い出した者に新たに束縛するようなこともないだろうという結論に達したとのことである。もっとも異教の習慣を連想させるような行為については禁止となったのである。
これが当時の話。


さて、今の話…教会とはたった一人のイエス・キリストから始まった信仰であるにも関わらず、2000年も経ると分裂や分派を繰り返して(まるで細胞だな…)数え切れないくらいの教団だの教派だのに分かれてしまっているのである。基本的な教理は同じであるだろうけど、細かいことになるとあれこれ違ってきて、どうもこれがまたやっかいなようである。大きく分ければカトリックとプロテスタント。プロテスタントの中でも長老派だの改革派だのバプテストだの、さらにそれぞれの中で細かく分かれている始末。まぁ、色々と理由があって細かく別れのは問題とは思わないが、互いに違うところを指摘してあーだのこーだの非難しあうという話を聞くと、何というか、見苦しい。共通点を大事にして互いに認め合えば良いものをといつも思うのである。