先週まで本当にお彼岸なのかというくらい暑い日が続いたが、今週に入って秋の涼しさがやってきた。
ふと、思い出して夜のうちに便座のスイッチを入れておいた。夏はいつも便座のスイッチはオフにしている。
朝、目覚めてトイレに行くと、じんわりとあたたかい。もう、それだけで至福の時間になってしまった。トイレに全面的に歓迎されている感覚。
あたりまえのように温かい便座に座っていた以前とは大違いだなぁと思う。
感度が鈍いときって、すべてにおいて、「そうなっていてあたりまえ」という意識しかなかった。些細なことに心が動くことがなかった。
刺激的なできごとが起きないかぎり、何にもなかった一日だったのだ。
便座にあたたかく出迎えられた朝。
夕暮れには、茅野遺跡で暑い夏を乗り越えて伸びた彼岸花に出迎えてもらえた。
つい先週まで芝生だったところに、ニョキニョキと天に向かって伸びてきた。
便座にも彼岸花にも、同じ熱量でありがたいと感じ入っている。そんな自分にも、よくここまで受け取れるようになったね、と労いたくなった。
「💩出したい!」を地道に捉え続けてきたら「なんでもない日なんて、ないっていう毎日」になった。
今日は劇的にも彼岸花のニョキニョキに居合わせたが、たとえ一日中家にいたとしても、便座の温かさに迎えられただけで今日はすでに特別な日だったと感じていたと思う。
不思議の国のアリスの「お誕生日じゃない日、バンザイ」が自然にできてることがうれしい。