1年前から書き始めた「肛門スピリチュアル」のブログ記事。100記事を目標に書き続けてきましたが、ついにここまでやってきました。

一つの通過点として、また新たな気持ちで書き進めていけたらと思います。

💩は一生、つきあうものです。
身体も一生、つきあうものです。

何か一つ達成しても終わることはなく、人生の物語は続いていきます。

便通ケアをすることは、決して義務感ではなく、一生この肛門となかよしでいたいから続けています。

そして、身体の不快(=便意)を聴き取る感度を上げる実験は、生活や人間関係のすべてに波及しています。不快のみならず、よろこびの感度も上がり、人間関係も良好になってきました。

💩のめぐりは、人生のめぐりに通じていると私は思います。すべての核にあるのが、便通だと信じています。

この真実を実証したいという好奇心が私を突き動かしています。自分の身体と人生をかけて、💩のめぐりを研究し続けたい、

それが、苦しみ悩んでいた昔の私の希望になると思っています。

とはいっても、やっていることは「💩出したい!」に応えていくだけです。

ただし、「出したい!」タイミングに💩を溜めることなく、身体を通り道として出していくことで、他のひらめきも湧きやすくなり、そのひらめきを実行する抵抗も少なくなってきたことを体感しています。

その実感があるため、💩がめぐれば人生もめぐっていくという仮説はあながち荒唐無稽な話ではないと考えるのです。

日々の実践の軌跡が、すでに奇跡であると私は思います。

この実践がどなたかの希望になれば幸いです。そのどなたかと💩をとおして心が通じた瞬間はなにものにも代え難い喜びです。

ありがとうございました😊
これからもよろしくお願いいたします。