一昨日、昨日と感情を「出すトレーニング」について書いてきました。



ネガティブな感情を湧き上がらせる思い込みの背景には、どんなに苦しくて辛くても何かしらのメリットがあるから握りしめている。


あんなに苦しく辛い思いをした便秘と内痔核には「💩を我慢しなければならない」という思い込みがあった。


なんでそんなものを握りしめていたか?


私の場合は、💩を我慢してでも「時間を守って、きちんとした社会人として認められたい」というメリットの方を大事にしていたからです。


じゃあ、思い込み見つけて、じゃんじゃん掘り下げてけばいいか?その必要はないかなぁと思っています。


💩と同様に「出したい!」タイミングがくる!


私はこの2年間、自分と肛門(身体)との信頼関係を築くことにひたすら専念してきました。


肛門が「この人は出したい!が来たら、出してくれる。ありがとう。安心して出したい!って言える」と信頼してくれることを目標にしてきたのです。


私と肛門がお互いに大事にし合えて、出せたーっ!っていう歓喜を分かち合いたい。


今、それが叶っています。


「出したい!」すなわち便意は肛門にとって不快です。不快を快にする行為が排泄です。


感情も不快で教えてくれます。

行き詰まったとき、壁にぶちあたったとき、いろいろなときに「不快」で教えてくれます。


そのときこそ、思い込みを掘り出すチャンスです。


💩を無理に出すことはできないし、嫌な感情も自分で湧き上がらせる必要もない。


「出したい!」をキャッチすることは大事です。

不快慣れきっていると、便意喪失するのと同じように感情も鈍くなってきます。


身体のどこかで感情が湧き上がる。


頭に来る

胸が騒ぐ

腹が立つ

足がすくむ


身体の部位を使った慣用句は、そこで感情が渦巻いていることを示しているとも考えられます。


そこで昇華できたら、この人感情もスッキリ出してくれる!って、身体全体から信頼されてくる。


無理矢理掘り起こすのではなく、時機が来たら浮上してきます。


わたしの目標は身体と歓喜を分かち合いたいということ。


スッキリしたねー

軽くなったねー

動けるねー

楽になったねー

ありがたいねー


って喜び合いたい。


全身歓喜に包まれて昇天できるように、日々の不快をキャッチする実践は続きます。