周りに合わせていれば、

幸せになれると思ってた。



周りに合わせることが、

大人になることだって思ってた。



周りに合わせられないことは、

人間として失格だと思ってた。






幼稚園に入ったくらいから、

「周りに合わせる」ことが人生の目的。






小学校に入学した日、

わたしはいつまで「ここ」に

いなけりゃならないのかと、

昇降口で上ばきをはきながら、

途方に暮れた。


ピカピカの1年生なはずなのに。

いきなり漠然とした嫌気に襲われて。

自分でもよくわからなくて。


何年か前の卒業記念の銅版画が

壁いっぱいに飾ってある。

みんな笑顔だ。

わたしはいつ卒業するんだろう。

私はすんごく暗い気持ちになった。











ここから

出られたら、

どんなに

うれしいか。















瞬時に、そんな気持ちは

奥に奥にしまっておこうと思った。

周りに合わせることがいちばんだから。

そう決意して、通常モードに戻った。








いつのまにかココロの不協和音は

新入生歓迎の金管バンドの演奏で、

かき消された。








………それ以来、その気持ちは

心の奥底に眠らせて、深く深くしまわれた。









小学校に行くのって、

当たり前のことじゃん。

世間の常識から外れるわけにはいかない。

中学校も高校もさらにその先も。



そうしなければ、

わたしは一人前になれない。

とにかく、

学歴は高い方がいいに決まってる。



ただ、超就職氷河期。

OLってタイプでもなく。

就職活動はしなかった。



教員免許は取っていた。

教員採用試験を受けた。

3回目の挑戦で、受かる。





それから、20年。

わたしはずっと「周りに合わせて」、

「周りに合わせる」ことを教えてきた。





周りに合わせなければ、

生きていけない。


周りに合わせていけることが、

大人としての第一歩だ。


周りに合わせることで、

人間として認められる。

















ああ、今に

なって気づく







小学1年生の入学式に感じた

あの途方もなく暗澹たる気持ち。

未来の私からのサインだったんだって。

わたし…ずっと「ここ」にいるんだもん。












ここから、

出られたら、

どんなに

うれしいか。







小学校1年生の私と今のワタシが呼応する。







「ここ」とは周りに合わせることで、

自分を守って生きる道筋だ。



誰からも非難を受けないように。

誰からも認められるように。

心の平安は保たれる。














でも、自分の身体のリズムは

周りに合わせてはくれない。















もう、

合わせられないんだ。

合わせたくても、合わせらんない…。

身体は正直だ




さあ、どうする????????

って、突きつけられてる。






出る?

出でてみたら?

出ようよ!
















コワイ、

こわすぎる。















最後の砦、

「おそれ」。



出てきた。

うおーーーーこえーーーーーー。












でも、もうそのリピートにやめない?

「周りに合わせること」で

無難に生きてくことに飽きてるんでしょ?