パウロは忠実で思慮深い奴隷ではないというエホバの証人の長老の見解は正しいですか | ヨハネのブログ

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   あるエホバの証人の会衆の長老は、ひとりの会衆の成員に対し、パウロは忠実で思慮深い奴隷ではないと言い切りました。

 ところが、エホバの証人は、現在のところ、パウロが統治体の一員であるという見解を取っていると思います。



 なぜなら、
198512/1ものみの塔の読者からの質問には、「使徒パウロはクリスチャンの統治体の成員でしたか。」という質問に対して、聖書的根拠をあげて、「パウロが1世紀のクリスチャンの統治体の成員であったと結論するのは道理にかなったことです。」と答えています。

 エホバの証人の統治体は、有能な油そそがれたクリスチャンが、忠実で思慮深い奴隷だとものみの塔の中で述べています。当然、パウロが統治体の一員であるということは、エホバの証人自身も公式にパウロが「忠実で思慮深い奴隷」の一員であることを認めていることになります。






 Apostle Paul Preaching on the Ruins
エホバの証人の統治体はパウロが統治体の一員であると述べ彼が忠実で思慮深い奴隷の一員であることを認めています

 



 私は、「統治体」という言葉は聖書にないので、パウロが統治体の一員であったかどうかは、幾らか意味のない質問だと考えますが、少なくとも、パウロも一世紀のクリスチャン会衆の中で、「指導の任に当たっている」人のひとりであり、「忠実で思慮深い奴隷」の一員であるということは、聖書の非常に初歩的な理解だと思います。(ヘブライ13:7。マタイ24:45)

 もし、この理解を退けるならば、聖書の一部を退けることになります。聖書は一部を退けるならば、聖書全体を退けることにつながり得ます。


  

  私は、長年、エホバの証人の長老たちが、エホバの証人の組織の出版物の内容を十分知らない場合があることに気づいてきました。 エホバの証人の出版物は、非常に大量に存在します。そのため、会衆の長老たちが出版物の内容の一部を知らないということは起こり得ることです。

 とりわけ、比較的若い長老たちは、30年前のエホバの証人の出版物の内容を知らないということはあり得ると思います。そのため、長老たちが聖書の基本的な教理や組織の詳細な教理の理解や指示を知らないということはあります。

 しかしながら、エホバの証人の出版物の権威は、聖書であるはずであり、私は、長老たちがもっと、聖書に精通するようにするなら、こうした問題を避けられると思います。聖書は、「書物を作ることには終わりがない」と述べています。(伝道の書12:12)ですから、エホバの証人の聖書の研究書は膨大な量になりえます。


 それで、際限のない量になりうる聖書の研究書に精通するのではなく、まず聖書に精通する目標を持てると思います。そして、聖書の正確な知識があれば、思考力を働かせて、正しい結論に到達することができるはずです。





 
Moronis - Eigenes Werk

Neue-Welt-Übersetzung der Heiligen Schrift (Innenseite)
私たちは聖書朗読にもっと力を入れ聖書そのものに精通する目標を持ちましょう



 エホバの証人は、奉仕や集会の出席、世俗の仕事など多くのことをこなされなければならず、他の人と同様、忙しいです。そのために、聖書の朗読がおろそかになる場合があります。私は、エホバの証人は奉仕時間を減らしても、毎日聖書を朗読するようにして聖書に精通することに努力を払うべきだと思います。

 エホバの証人は、週に聖書の3,4章程度を読むよう奨励されていて、週に一回、神権学校で、1章弱を読みます。しかし、その程度の量では、年を取った人は生きている間に聖書を通読できません。また、エホバの証人の成員が、聖書に精通する状態に達することも難しいと思います。もっと、聖書朗読そのものに力を入れる必要があると思います。



 Worship at a Kingdom Hall in Tilburg, Netherlands
私はエホバの証人は集会でももっと聖書朗読の時間を長くするべきだと思います

 


 その198512/1ものみの塔の読者からの質問の回答の一部は、次のようになっています。「西暦49年に統治体を形成していた男子のグループは,『エルサレムにいる使徒や年長者たち』から成っていました。・・・使徒 15:246。」

 「イエスがパウロに現われて,パウロを『ご自分の名を諸国民に携えて行くための選びの器』とされました。使徒 9:3‐615。ガラテア 1:1。ローマ 11:13。コリント第一 9:1; 15:78。」

「パウロが諸会衆を指導した『使徒や年長者たち』の一団の成員になったことをさらに示すものとして,神の力のもとでパウロが行なった事柄を考慮してみてください。パウロはクリスチャン・ギリシャ語聖書の14冊の書を書きました。

「パウロはキリスト教を広める上で著しい指導力を発揮し,諸会衆に多くの面で導きを与えました。霊感によるその書物は,パウロが時に自ら問題を解決したことを示しています。当時のことですから,統治体の成員の一人が中央にある統治体から遠く離れた所にいて,通信が迅速にいかない場合に予期される事柄です。(コリント第一 5:11‐13; 7:1017)」

「・・・その結果中央の統治体の幾つかの集まりに出席できなかったにしても,パウロが神とキリストに用いられたその仕方はパウロが統治体の成員であったことを示しています。」

確かに、エルサレム会衆の使徒や年長者たちは、一世紀当時のクリスチャン会衆で敬意を払われていました。(使徒15:2;16:4)

しかし、私は、パウロはエルサレム会衆の成員ではなかったと思います。彼はアンティオキア会衆の成員で、彼はアンティオキアを本拠地にしていました。(使徒14:21;15:35)そして、パウロは復活したイエスから直接「諸国民への使徒」として選ばれ、イエスから与えられた権威で聖書に基づいて、独自に行動しました。

パウロは、エルサレム会衆の長老団を通さずに、諸会衆に長老を任命しました。(テトス1:5)ですから、イエスは単にエルサレム会衆の使徒や年長者たちだけを用いられたのではなく、聖書に基づいて論じるアンティオキア会衆のパウロも大いに用いました。



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パウロはエルサレム会衆の成員ではなくアンティオキア会衆の成員でした

 


忠実で思慮深い奴隷は、「時に応じてその召使いたちに食物を与え」ることをします。(マタイ24:45)食物とは、聖書の教理の説明です。(ヘブライ5:13-6:2)明らかに、パウロは忠実で思慮深い奴隷の一員として、大いに用いられました。このことも、単にエルサレム会衆の使徒や年長者たちだけでなく、エルサレム会衆以外の油そそがれたクリスチャンが忠実で思慮深い奴隷に含まれるということを支持するでしょう。


ですから、「忠実で思慮深い奴隷」が単にエホバの証人の本部の統治体の成員であるというものみの塔20137/15に発表された教理は聖書的に不正確だと思います。私は、エホバの証人の統治体の兄弟たちにも、もっと聖書を読んで、聖書に忠実に付き従った解釈をすることを希望します。