「 なれのはて 」

加藤シゲアキ



単行本も出ましたが、月刊 小説現代 に全編掲載された方を読みました。


大抵、読み始めれば、一気読みするんですけれど


今、義実家の片付けに追われていて 時間も足りず、 気持ちも乗らなくて … 珍しく停滞していました。


やっと、読み終わりました。


一言でいうならば、エンターテイメント。


加藤シゲアキ作品は ほぼ読んでいますが、これが一番好きかも。


読後感もいい。



もう作家としての彼を「 アイドル 」だから と揶揄する人はいないでしょう。


アイドル と 作家 … その二面性を思う時、彼の祖父が 晩年、歌って踊っている孫と 小説をかいている孫 … 2人いると認識していたというエッセイを思い出します。


石戸諭のインタビューも考察も とても良い。


「 物語終盤、すべてを知った守谷 ( 主人公 ) に突きつけられたのは、報道するとは何か、伝えるとは何かという問いだった。」

「 スクープが手に入れば、多少裏取りがが甘くても右から左に流し続け、あとは『世間』が判断することだと開き直ることで報道部のエースと呼ばれるようになったのだろう。」( 石戸 )


この物語の中で 守谷は人として成長する。先輩 小笠原の深慮が理解出来るようになる … 大人版、夏休みの読書感想文なら 主人公の成長譚 としておすすめになりそうな話。


「 正しさは振りかざすだけの矛ではない。たしゃを守るための盾でもある。」( 本文 )


今のマスコミに それを身をもって示せているだろうか … 。



書評も三者 付いている。


杉江松恋は

「 本作で加藤は、初めて他者についての小説を書いたと言える。」

と書いている。

これまでの作品は ( 誤解を恐れずに言えば ) 主人公は作者の分身であった … と。


作品が自己投影でも、分身でもなく、フィクションであったとしても … 私の脳内で 主人公を演じていたのは 加藤シゲアキだった。




何とも今は忙しない。 再読決定の作品だわ。