ニノが、自分を 俳優ではなく 「 アイドルだ 」 と 断言したのは いくつの時でしたっけ?
俳優ではない、演技は本業ではない、と言ったわけですよね。
約10年の時を経て、最優秀主演男優賞 とりましたけれどね。
翔さんも、ミュージカルで主演をやる時に そこらへんは 随分プレッシャーを感じ 悩んでもいたようですね。
ラップも、その世界で最高峰と言われる人よりも 客を呼べるということが、周囲のやっかみや批判に繋がることもあるでしょうね。
彼らの名前で 客が呼べるという 興業的な見通しがあって成立することですから、本業であろうとなかろうと 進んで行くのですが、矢面に立つのは生身の彼らです。
「 アイドル 」 の概念を変えたのは SMAP だと思っています。 私にとって、それまでのアイドルはトイレにも行かない感じでした(笑)。 それはそれで良かったんですけれどね。
SMAP の歩んだ バラエティーにも出る、恰好良いだけでない、等身大のアイドルが 今の彼らに繋がっていると思います。
娘が聞いていた 曲に 耳が反応しました。
buck number の 「 日曜日 」 という曲です。
たとえ アイドルと付き合えなくたって 外車に乗れなくたって
君がここにいるなら 幸福な人生だろう
大事にすべきものは 探せばいくらでもあるんだけれど
本当はそんなにいくつもの ものは守れなくて
だから選ぶんだよ 僕も 君も …
たとえ
世界を救えなくたって
有名になれなくたって
君を守るために生きられたら後悔しないだろう
一生分の 「 運 」 の量が決まっているのなら、それを使うのはいつだろう … 今 じゃなくて もっと大切な時が来るのかもしれない! じゃあ、今は 自力で何とかしておこう … そんな風に考えることもあります。
人生は 墓に入るまで分からない と思っています。 幸福なんて 自分の中にしか 判断基準がない上に 自分の想いさえも 時と共に移ろう 流動的なものだと 経験上 知っているからです。
もちろん、若い頃は 色々 考えましたよ。 お金持ちの家に生まれていたら、もっと美人だったら、自分の 「 今 」 は もっと違うものになったんじゃないか … って。
ハタからは 幸せそうに見えて、自分自身が そう思えない時期もありました。
でも、そんな時も、頭の中に さだまさしの 「 主人公 」 という曲が流れていました。
「 或いは 」 「 もしも 」 だなんて あなたは嫌ったけど
時を遡る切符 ( チケット ) があれば 欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選び直せるならって …
勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で 選んだ以上精一杯生きる
そうでなきゃ あなたにとても
とても恥ずかしいから
あなたは教えてくれた
小さな物語でも
自分の人生の中では
誰もがみな主人公
時折思い出の中で
あなたは支えてください
私の人生の中では
私が主人公だと
「 さだまさし 時のほとりで 」 新潮文庫より
主人公は 自己中心的で 傍若無人では いけないよね。 座長として、その物語を背負って立たなくちゃいけないんだ … 私の物語は もう終盤? 起承転結で 言えば 「 結 」 まで来ているのかなぁ~。
俳優ではない、演技は本業ではない、と言ったわけですよね。
約10年の時を経て、最優秀主演男優賞 とりましたけれどね。
翔さんも、ミュージカルで主演をやる時に そこらへんは 随分プレッシャーを感じ 悩んでもいたようですね。
ラップも、その世界で最高峰と言われる人よりも 客を呼べるということが、周囲のやっかみや批判に繋がることもあるでしょうね。
彼らの名前で 客が呼べるという 興業的な見通しがあって成立することですから、本業であろうとなかろうと 進んで行くのですが、矢面に立つのは生身の彼らです。
「 アイドル 」 の概念を変えたのは SMAP だと思っています。 私にとって、それまでのアイドルはトイレにも行かない感じでした(笑)。 それはそれで良かったんですけれどね。
SMAP の歩んだ バラエティーにも出る、恰好良いだけでない、等身大のアイドルが 今の彼らに繋がっていると思います。
娘が聞いていた 曲に 耳が反応しました。
buck number の 「 日曜日 」 という曲です。
たとえ アイドルと付き合えなくたって 外車に乗れなくたって
君がここにいるなら 幸福な人生だろう
大事にすべきものは 探せばいくらでもあるんだけれど
本当はそんなにいくつもの ものは守れなくて
だから選ぶんだよ 僕も 君も …
たとえ
世界を救えなくたって
有名になれなくたって
君を守るために生きられたら後悔しないだろう
一生分の 「 運 」 の量が決まっているのなら、それを使うのはいつだろう … 今 じゃなくて もっと大切な時が来るのかもしれない! じゃあ、今は 自力で何とかしておこう … そんな風に考えることもあります。
人生は 墓に入るまで分からない と思っています。 幸福なんて 自分の中にしか 判断基準がない上に 自分の想いさえも 時と共に移ろう 流動的なものだと 経験上 知っているからです。
もちろん、若い頃は 色々 考えましたよ。 お金持ちの家に生まれていたら、もっと美人だったら、自分の 「 今 」 は もっと違うものになったんじゃないか … って。
ハタからは 幸せそうに見えて、自分自身が そう思えない時期もありました。
でも、そんな時も、頭の中に さだまさしの 「 主人公 」 という曲が流れていました。
「 或いは 」 「 もしも 」 だなんて あなたは嫌ったけど
時を遡る切符 ( チケット ) があれば 欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選び直せるならって …
勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で 選んだ以上精一杯生きる
そうでなきゃ あなたにとても
とても恥ずかしいから
あなたは教えてくれた
小さな物語でも
自分の人生の中では
誰もがみな主人公
時折思い出の中で
あなたは支えてください
私の人生の中では
私が主人公だと
「 さだまさし 時のほとりで 」 新潮文庫より
主人公は 自己中心的で 傍若無人では いけないよね。 座長として、その物語を背負って立たなくちゃいけないんだ … 私の物語は もう終盤? 起承転結で 言えば 「 結 」 まで来ているのかなぁ~。