昔 読んだ 赤川次郎 の作品に 「 一億円もらったら 」 というのがありました。 続編も出ていました。
アメトピ に 高須クリニックの院長が 1000万円の札束を持って写っていました。
話の内容的には 2000万円だったので、「 これで? 」 って思わず 画像拡大して数えちゃいました。 右手しか写っていなかったので、反対の手に、もう1000万円持っていたのかも … 。
注 )オリンピック、サッカー、ナイジェリア代表に寄付した話
桁が大きすぎると ピンと来ないので、今日のお話は 100万円で。
先日、私学の学費が 約100万円と書きました。
1日24時間は 誰の上にも平等ですが、その使い方は千差万別です。
同じように 100万円を手にした時の使い道も 人それぞれだと思うんです。
私、「 借金の日延べは出来ても、教育の日延べは出来ない 」 という言葉が好きです。
自分たちの老後に 心配がないわけではありませんが、わが家における教育費は 優先順位が かなり高いです。
大検 ( 高認 ) で 高校卒業資格は得られても 高校生活は送れないわけですよね。 その年齢でしか経験出来ないものもあると思うんです。
8月18日に NHK で 「 子どもの貧困 学生たちみずからが語る 」 というニュースをやっていました。
登場した高校3年生のお嬢さんは、中学でパソコンの授業についていけなくなった時、母親がせめて練習用にと 千円ほどのキーボードだけを買ってくれた時に、他の家庭には 当たり前にパソコンがあり、自分は貧困層なのではないかと気づいた と話していました。
子どもたちと一緒に見ていたんですが … ピンとは、きませんよね。 やはり、 彼らの環境とは余りに かけ離れていますから。
専門学校に行きたかったが、入学金の50万円が工面出来そうにないので進学を断念した と語っているわけですが、
じゃあ、その入学金の50万円を 誰かが 代わりに出してくれれば 万事解決かというと、そういう話でもないわけです。
奨学金だって、借金ですし。 借りたら返すことが前提。 給付奨学金を受けられる人は ごく僅かです。 負のスパイラルから抜け出すのは とても大変なことです。
「 格差は遺伝する 」 と私は思っています。
だからこそ、どこかで その DNA を 書き換えないと …
私の両親は学問には縁がなく 、 大学は 「 最高学府 」 で 学者や先生になる人が 勉学に励むために行くところ と思っているような人たちでした。
しかも 私の年代では まだ女子の4年制大学への進学率は 今ほど高くはなく、進学するにしても短大で十分だし、その方が就職に有利と言われる時代でした。
一方で、「 世の中 学歴なんて関係なくて 」 「 大学なんて レジャーランドみたい 」 で 「 学生は 勉強なんて 全然していなくて 意味がない 」と言う声もありました。
もし それが本当なら、それは そこに身を置き 経験した人が言わないと 「 ただの負け惜しみジャン 」 と高校生の私は思っていました。
卒論は 「 学歴社会 」 について書きました。
今の 私の 生活は、私が 4年制大学を卒業したことと 直接は関係ありません。 が、あの年齢で過ごした4年間が、私の支えになっていることは事実です。
「 モラトリアム 」 と言われた 学生生活でしたが、人生80年と言われる時代の 4年間です。 それが叶わない人々がいることも承知していますが、子どもたちには 限りある時間の中で 「 今だけ 」 の毎日と向き合ってほしい、「 今だから 」 そう思います。
アメトピ に 高須クリニックの院長が 1000万円の札束を持って写っていました。
話の内容的には 2000万円だったので、「 これで? 」 って思わず 画像拡大して数えちゃいました。 右手しか写っていなかったので、反対の手に、もう1000万円持っていたのかも … 。
注 )オリンピック、サッカー、ナイジェリア代表に寄付した話
桁が大きすぎると ピンと来ないので、今日のお話は 100万円で。
先日、私学の学費が 約100万円と書きました。
1日24時間は 誰の上にも平等ですが、その使い方は千差万別です。
同じように 100万円を手にした時の使い道も 人それぞれだと思うんです。
私、「 借金の日延べは出来ても、教育の日延べは出来ない 」 という言葉が好きです。
自分たちの老後に 心配がないわけではありませんが、わが家における教育費は 優先順位が かなり高いです。
大検 ( 高認 ) で 高校卒業資格は得られても 高校生活は送れないわけですよね。 その年齢でしか経験出来ないものもあると思うんです。
8月18日に NHK で 「 子どもの貧困 学生たちみずからが語る 」 というニュースをやっていました。
登場した高校3年生のお嬢さんは、中学でパソコンの授業についていけなくなった時、母親がせめて練習用にと 千円ほどのキーボードだけを買ってくれた時に、他の家庭には 当たり前にパソコンがあり、自分は貧困層なのではないかと気づいた と話していました。
子どもたちと一緒に見ていたんですが … ピンとは、きませんよね。 やはり、 彼らの環境とは余りに かけ離れていますから。
専門学校に行きたかったが、入学金の50万円が工面出来そうにないので進学を断念した と語っているわけですが、
じゃあ、その入学金の50万円を 誰かが 代わりに出してくれれば 万事解決かというと、そういう話でもないわけです。
奨学金だって、借金ですし。 借りたら返すことが前提。 給付奨学金を受けられる人は ごく僅かです。 負のスパイラルから抜け出すのは とても大変なことです。
「 格差は遺伝する 」 と私は思っています。
だからこそ、どこかで その DNA を 書き換えないと …
私の両親は学問には縁がなく 、 大学は 「 最高学府 」 で 学者や先生になる人が 勉学に励むために行くところ と思っているような人たちでした。
しかも 私の年代では まだ女子の4年制大学への進学率は 今ほど高くはなく、進学するにしても短大で十分だし、その方が就職に有利と言われる時代でした。
一方で、「 世の中 学歴なんて関係なくて 」 「 大学なんて レジャーランドみたい 」 で 「 学生は 勉強なんて 全然していなくて 意味がない 」と言う声もありました。
もし それが本当なら、それは そこに身を置き 経験した人が言わないと 「 ただの負け惜しみジャン 」 と高校生の私は思っていました。
卒論は 「 学歴社会 」 について書きました。
今の 私の 生活は、私が 4年制大学を卒業したことと 直接は関係ありません。 が、あの年齢で過ごした4年間が、私の支えになっていることは事実です。
「 モラトリアム 」 と言われた 学生生活でしたが、人生80年と言われる時代の 4年間です。 それが叶わない人々がいることも承知していますが、子どもたちには 限りある時間の中で 「 今だけ 」 の毎日と向き合ってほしい、「 今だから 」 そう思います。