その昔、息子が小学1年生の夏休み、習い事で一緒のお友だち数人 わが家で宿題をやっていました。
国語の小学1年生にしては長文の問題で、途中の ( ) に接続詞を入れるんです。 順接 「 だから 」 か 逆接 「 しかし 」 のどちらかを入れるというようなことなんですが、それが出来ない。
あんなに本を読んでやっているのに…と思いましたね。 文章の流れで十分わかるはずなのに と。
お友だちのママと ため息をつきながら教えました。
それが3年後、妹同士も同じ学年だったので、また集まってやっていたんです。
同じ問題を妹たちがやっているのを見て横から 「え~、こんなの しかし に決まってんじゃん。」 とか言っているんですよ。
お友だちのママと 「 え~っ、放っておいても数年たてば出来るようになるのかな。」 と脱力しました。
* * *
先ほど、ガンガンに音楽をかけながら、勉強していた、娘が 「 これ見て!凄くな~い。」 と ノートまとめをしたものを見せに来ました。
授業中 どこを聞いて どんなメモを取ればいいのか、どれくらいの分量で書けばいいのか、そういう差配が出来るようになったと自分で言っていました。 ま、高2ですから。
そして 「あ~、小学5年生の私に教えてあげたい!あの苦労はなんだったんだろう。」 とも言っていました。
そうそう、5年生で始まった社会科のノートまとめの宿題が全然出来なくて、私も夜な夜な付き合わされて大変でしたっけ。 ビャービャー泣きながらやっていました。
放っておいても 数年して出来るようになるものなのか、そこで苦労して頑張ったから 数年後に楽に出来るようになるものなのか…
「 両方は経験出来ないんだから、やってみるしかないよね。」 彼女はそう会話を締めくくっていました。
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親は自分の経験踏まえて、子どもに自分の正しい思うものを選択させようとしがちなのではないでしょうか。
それは、自分の失敗を繰り返してほしくない とか 効率よく立ち回って欲しい とか
つまりは 幸せであって欲しいということなのですが…
それが 子ども自身のためであるかは 疑問の残るところです。
親自身が安心したいがため のような気もします。
そう 「親」 は 「私」 です。
財は残せるかもしれない、でも自分の経験を伝え残すことは難しい と思います。
出来るだけ 自分の言葉で 自分の思いを子どもに 伝えていきたいな と思います。
最近、病院や老人ホームに ばかり出入りしていると 人生の終わり方について考えます。何だか 自分のエネルギーも吸い取られていくよう…
逆に 若い人からエネルギーをもらわなくちゃ!
そういえば、正月の屠蘇を 若い人から順にいただくのは 若者から年長者に生気を渡す意味がありましたね。
テレビじゃなぁ~。エネルギー不足。お会いしてみたいものです…
ああ、いつから私、こんなに贅沢な望みを持ってしまったんでしょう。
「 FREESTYLE 2 」 発表になりましたね。
ご本人は無理でも、作品には会えるかもしれません。
いや、おいそれとは 入れないのかな?
ほら、TDLとかキッザニアとかでも効率の良い回り方とか狙い目の日とか時間帯とか裏ワザとかあるじゃないですか…情報お待ちしていま~す。
取りあえず、アマゾンよりも 楽天の方が発送が早いらしいとの情報を得て、楽天で作品集はポチッと予約してきました。
アラシゴトにも経験って大事。 先達、よろしくお願い致しますm(__)m