これって間違った意味で使われている言葉の例に良く出てきますよね。


「 情けをかけると 結局その人のためにならないから 下手に温情をかけるなよ 」


という意味だと思っている方が多いようですが


本来は、「 人にかけた情けは いずれ自分に巡ってくるものだから 結局 自分のためだよ 」 という意味。


現在は国語的に、こちらが正解です。言葉って変化するものですから、「全然」が否定と一緒でなくても使われるようになってきたように、そのうち容認されるかもしれませんね。


駅前のTSUTAYAで 学校帰りの娘と待ち合わせをしていました。 レジ前で 「黒いよ どうしたの?」 と聞かれ、見ると右手の小指側が黒くなっていました。 「人助け してたからね。」 とその場では言っておきました。


実はその直前、日能研カバンの小学4年生くらいの男の子が自転車のチェーンにカバンについていた会員証のついたストラップのひもを巻き込んで立ち往生していました。


友だちが一緒でしたが、通り過ぎてからも 気になって自転車を止め振り返ると、友だちの方だけが先に行ったようです。授業開始時間が迫っているのでしょう…。



知らない子どもに声をかけるのは勇気が要ります。それは人見知りとかではなく…不審者だと思われてしまいそうだからです。


友人が 「 雨の中、車で走っていて 知っている子を見かけ乗せようと思ったけれど、それってダメなのよね。 」 と


「 傘を貸す 」 が この場合の正解なんだそうです。 まぁ、幼稚園の同級生のお母さんに殺されてしまったというような痛ましい事件もありましたからね。


でも、戻りました、私。


こう見えて結構器用なんですよ。機械いじりも嫌いではありませんでした。まぁ、数分で何とか外すことができ、大人の面目を保つことが出来ました。


「 間に合いそう? おばちゃんの息子も日能研の○○教室の卒業生なんだよ。 がんばって。」 そんな声をかけて送り出しました。



自分にはもう巡ってこなくてもいいんです。


もうたくさん助けていただきました。


息子が小学校1、2年生の頃だったと思います。最寄駅までは自転車、そこから私鉄で通学していました。携帯も持たせていませんでした。


朝、知らない番号から着信があり、不審に思いつつも出ると 息子で 「 定期入れを忘れた。」 とのこと。 そんな時のために小銭をランドセルに入れてあるのに 頭が回らなかったようです。


駅員さんの個人の携帯からでした。


自転車を飛ばし、駅に着き、息子に定期入れを渡し 改札に入れながら 「どの駅員さん?」 と聞きました。


声を掛け、お礼を言い、電話代を払わせて欲しいと言うと かけ放題のようなプランに入っているから大丈夫だと言われ 受け取ってもらえませんでした。


「 改札口で この世の終わり みたいな顔していたんです。」 と笑って言われました。




極楽も地獄も同じような大きな釜に御馳走が入っているんですが、箸が凄~く長いので自分では食べられないんだそうです。


極楽ではお互い向かい合わせの人にどうぞどうぞと食べさせるので みんなお腹いっぱい。


同じ条件なのに、地獄では何とか「自分が」食べようとしているので みな飢えている。


そんな話を思い出しました。