こんにちは、あこです。

 

 

 

 

 

MLB速報や広範囲な情報を知りたくて

完全趣味でツイッターをしておりますにやり

 

 

 

 

 

そこでたまに目にする社会的弱者という言葉。

 

者がついてるので人のことだと

世間一般で認識されてると思いますが

私はそれに違和感を感じるのです。

 

 

 

 

 

今その人がいる環境での状況がそうであり

 

その人自身は弱い人ではないと

 

 

切り離して考えた方がいい

 

 

そう思っています。

 

 

 

 

 

 

弱者という言葉を使って

 

 

「自分はかわいそうな人」

 

「あの人はかわいそうな人」

 

 

と被害者意識が増殖されてる気がするのです。

 

 

 

 

 

 

かわいそうな境遇の人を思いやるのは

優しい行為であるけれど

 

自分への見下し

 

他人への見下し

 

をその奥によく感じることがあります。

 

 

 

 

 

「かわいそうな人」でいると

周りから優しくされる。

 

 

 

 

 

子どものとき風邪を引いて

お母さんから優しくされたこと。

 

久しぶりに学校に行ったら

周りがみんな優しくされたこと。

 

 

 

 

 

体調が悪かったり悩みがある時など

優しくされた経験は誰にでもあると思います。

 

 

 

 

 

でもね、それが嬉しかったからと言って

「かわいそうな自分」を切り札にして握りしめて生きてくと

本当にそうなってしまうのです。

 

 

 

 

 

「弱者」という言葉は

物理的な環境の位置なだけであって

その人そのものを一緒にしてしまうと

 

 

自分もその人も周りも

 

人がいないと幸せや達成感を感じれなかったり

 

空虚感を埋めるための行動になっちゃうよ。

 

 

 

 

 

 

国や周りから必要なサポートはガッツリ受けても

 

自分を弱い人にしちゃいけないよ。

 

希望を捨てちゃいけないよ。

 

 

 

 

 

あの人は弱い人だと勝手に決めつけて

 

可能性を奪っちゃいけないよ。

 

 

 

 

 

「かわいそうな人」を演じなくても

 

優しくされていいし

受け取っていいし

 

 

そのままで愛されていいんだと

 

 

自分に許可してあげてね

 

 

 

 

 

 

今日もゆるよい1日を。

 

 

 

 

 

 

いつもありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

あこ

#物理レベル

#思考レベル 

 

 

東南アジアや南アジアや南米で

たくさんのストリートキッズたちに出会いました

目のキラキラ度と生命力と賢さは半端ないって

みんな受け取り上手だったな。笑

 

 

 

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