🕯

次女がちいさな頃

夫が出張先から
お土産として
ポケットにしのばせて

持って帰ってきた
置きモノの《小鳥》


もう15年も経ったら
箱に仕舞われていました。



ならば、わたしの部屋に
来てもらおうと。

先日、postにて
拝見した
juole_moy さんの
ワイヤーボール。



届いたら、
思っていた通り、
《小鳥》のおうちに
ぴったりでした。

コトリも喜んで
ちちちち、と
鳴いているようです。


#部屋


雨曇りの朝部屋(アサヘヤ)



わたしは
動物さんと暮らすことは
人生で一度もなかったから

ときどき、空想で

猫や小鳥を飼っていることに
しています。


マボロシの猫と


マボロシの庭の
枯れた紫陽花の花を
揺らしながら歩いたり、

マボロシの鳥の囀りを
夜の雫のように聴いたり

甲羅が青い
マボロシのおおきな陸亀と
冬の日、うとうと
眠ったりします。



空を眺めるときは
自身が、ちいさな命を
いただいている
動物になります。

すごいね
ひろいね
まいにち、色が
変わるね、

と、感嘆して

マボロシのしっぽを
振ります。








独り修道院の食事。

きのうのお昼。


ツナと玉葱の
チーズトースト





食べるときは、たいてい
本を読んでいる。




『そうだね、例えば、
俺たちはバックしてもいいはずだよね!』
と白鳥さんは答えた。

#今日の本読みのハイライト 

《目の見えない白鳥さんとアートを見にいく》-

昼飯のチーズトースト食べながら読んで、
食べ終えて読んだ章をしみじみ読み直す。
9章みんなどこへ行った
第10章自宅発オルセー美術館ゆき


夜に続きを読む。楽しみだし、
なんだか胸が熱いし、
ジブンが楽しくbackし始めている感覚がする。
バックオーライ!
わたしたちが来た道、
失くした風景、ゆっくり見たいよ。





きのうは、
にんじんのポタージュも仕込んだ。



今朝の独り修道院の
朝飯は

にんじんポタージュスープと
剥いた梨
パン

だと、思う。


そうそう今朝、読んだ
ソローの《森の生活》に

🕯寒い日に、こんな小さな数個のパンを、
エジプト人が卵を孵化させる時のように、
心を配り、ひっくり返して
順々に焼いていくのは、
格別楽しいことであった。


との、一節があり、

いいなあ、とメモした。



ソローは木切れで
焚き火して
玉蜀黍粉の
パンを焼くのだけど

すごく原始的だから、

こころを配りながら
じっと見ながら
パンをひっくりかえさないと

食べもの、じゃなくなるから。


そこに、丁寧 を感じる。


パンと火とソローの空腹。


わたしもそういう風に
日々のごはんをつくりたい。




そもそも
すごーく美味しいパンを
わたしたちは
食べ過ぎているような気がする。



これは、原稿を書いている
わたしの散らかった机周り。




王冠をかぶらずとも
草の冠で
良いではないか。



つまり、わたしは
一日6時間
週4日の労働で

みなが

こころを
ジブンに配りながら

暮らせる社会を

と、思っている。


それくらいだと
夜も早く眠れるし
育児だって、夫婦でやれる。
youtubeで、よくあがる
丁寧な暮らし
みたいなのもできるよ。


他者の時間を
つまり、他者の人生を
長時間労働前提の
安賃金で搾取して

きゅうきゅうと搾り、

一方で
欲望を煽り、

成長という旗を
時代時代で振り続け、

それは戦争だったり
原発だったりした。


あんたも
自助しなくちゃさー

それが出来ないから

王冠を被りながら
会食できないのさ
わははははっ

の構図、無くしたいっすね。


そろそろ
いや、冬には。



わたしたちが

彼らが与えてくる
《貧しさ》を、

それぞれに
《豊かさ》に変換して


もう、綺麗な空とか水とか
穏やかな気候とかが

あれば、まずは
しあわせなんですわ

と、

だからさ、
それを楽しむ時間をよこせ

と、

猫みたく
気儘に過ごしたら
良いんじゃないですかねえ。


マボロシのしっぽを
ゆあんゆよんと振って。

(爪は切らせないで)





さて
好きに書いてしまい
消そうかとも、おもうが

ま、いいか。


好きに書くのが
blogだ。



みなさま、良いにちようびを。


しお
(マボロシのしっぽ付き)