きのう、NHKは
シャーロックナイトで
シャーロックホームズにまつわる
番組を、いろいろやっていた。
コナンドイルが書いた
ホームズの描写に改めて
驚いたことが。
ホームズは
地動説を知らず
それをワトスンに指摘されると
『月が、どう回っているとか
そんなこと、ジブンにはカンケーない』
みたいに逆ギレする、のだが。
つまり、ジブンが
事件を解決するのに
地動説は必要なく(いまのところ)
そんな無駄な知識を入れるほど
脳は、広くない!
と、言うのだ。
脳は
狭い屋根裏部屋だ、と。
なんでもかんでも詰めこんだら
機能しない、と。
ひゃー、おもしろい。
すごく、はしょってます。
そして、すごーくsio視点です。
ちょいと、違っていたらごめんなさい。
と、血湧き肉躍ってしまった!
わたし、
オボエラレナイ分野が、ある。
何回、聞いても
何回、目にしても
記憶回路を辿ると
それが、ほぼ、無い、ことに気づいて
愕然、としていた。
きのう、ホームズの
エピソードを聴きながら
きっと、
わたしの狭い
屋根裏部屋脳が
それは
インストールしなくて良い
と、思っているんだな、と感じた。
なぜならば
Youがやることには
それらは必要なく
詰め込めば、spaceが
無くなり、スムーズに
機能しなくなる。
地動説を研究する学者は
それを追い、
(その恩恵を受けるpeopleは
たくさんいる!)
それはそちらに任せて
ホームズは偏執的に
地を蠢く
暗き事件を追うのだ。
モリアーティと
対決するのだ。
学者たちは
モリアーティも、事件も追わない。
と、いうことで
なぜか、
たくさん
日々、目にする
オボエラレナイ分野を
ウケトレナイ
オボエラレナイ
と、嘆き、悩むのは
莫迦なんだ、と思っていた
サラバサラバ、なのである。
ひとは、それぞれ
ジブンの狭い屋根裏部屋脳を
最大限に活かすべく
取捨選択しながら
ジブンが、愉しい、と
感じることに、
有限なるLIFEを
捧げるしか、ない。
学者と探偵は
まったく違うものを
choiceして、
ジブンが
追いたいものを追う。
それが、本来の
自由、で、あり
世界が闊達に
機能すること、なのだ。
だから、ひとつの価値観や
まなざしに、それぞれの生き方を
『それが、全体の真実である』と
集約しよう、という流れには
どんなに、善へのリターンを説かれても
暴力を感じるんだな、わたしは。
嗚呼、すっきり。
(100人出会えば
100人のひとが興味を持ち
100人のひとが納得し
100人のひとが喜びに満ち溢れ
100人のひとの魂を救う
唯一無二のものは、無い。
例えば、有る、としても
狭い屋根裏部屋の脳を持つ
わたしたちには
それを
同時に、認識することは、
残念ながら、無いのだ)
諸君、ホームズを持ってしても
全知全能には、なりえない。
ならば、オノレの不完全を愛し
自由になるために
たくさんの情報や気づきを
脳にインストールして
spaceを失くして
不自由になるのではなく
個々の、偏愛的屋根裏部屋で
思い切り、生きようではないか!?
と、たぶん
はちゃめちゃの町に住む
絶対的ニート アラビ・アランも
FMrinseから
だらだら
言っているのではないか、と。
ジブンへの、アクセルを
振り切れ、と
他者のアクセルを
踏もう、と、せずに!
と、
この、兄さんたちも
脱皮を繰り返しつつ
時に
マイクに唾を飛ばしながら
はきはき、喋っているようだし
SNSを通して
ラジオ配信も
わたし、いろいろ
発信させていただいている。
『ジブンが、こう思っている
ジブンが、こう感じた』
つまり、わたしの
狭い屋根裏部屋脳が
認識した、ことだけを
日々、迷いながらも。
大海へ
ちいさきものが
手紙の入った、ちいさな瓶を
そっと、浅瀬から
流す、そんな気持ちで。
そして、みなさまが
同じように
大海へ、流す
カラフルな瓶を拾うのを
愉しみに、している。
さて、本日も
狭い屋根裏部屋脳を
ちかちか、点灯させて
スパニョロ恋短歌集の
冊子の、構成を。