秋になると、旅に出るものと

残るものにわかれます。

いつだってそうでした。

めいめいの、すきずきでいいのです。


でも、ぐずぐずしていて、

とりかえしのつかなくならないうちに

どちらにするのか、きめなくてはなりません。


【トーベ・ヤンソン ムーミン谷の11月 

第一章スナフキン、旅に出る より】




11月が来ると、【ムーミン谷の11月】を読む。


ここ数年続いている、わたしの【習慣】



母が亡くなった年は、わたしは【残るもの】だった。

その次の年も、・・・そうだった。


でも、今年、わたしは【旅に出るもの】になっている。


どこへ行くのか、わからないけれど・・・・・。



「おい、おまえさん、どこへいく気だね」

「わかるものか、そんなこと」

と、スナフキンは答えました。


戸はまた、しまりました。


しんと、はてしなく、おくのおくまで

しずまりかえっている森の中に、

スナフキンは、足をふみこんでいきました。


【トーベヤンソン ムーミン谷の11月

第1章 スナフキン、旅に出る より】



しんと、はてしなく、おくのおくまで

しずまりかえっている森のなかに


sioも、行ってみる・・・・のだ。



ジョニ・ミッチェル姉の

【Morning Mogantown】を聴きながら。






ここ数日の日記など。



月曜日(11月3日)


会社に行く夫

部活へ行く次女、

アルバイトに行く長女を送り、


午前中、ジムへ。


午後は、3つ先の駅にある映画館に

【小野寺の弟 小野寺の姉】を観に行く。





片桐はいりファンのsio。


(学生の頃、下北沢の駅で

はいりさんが切符を買うのを見た。

その頃、小劇場のお芝居が

好きだった(第三舞台、夢の遊民社)ので

割にシモキタに出没していたのだ)


でもファンになったのは12年くらい前から。


さらに、カノジョが書いた

本を読んでからは、さらに

強固なファンになってしまった。


(カノジョは俳優としてはもちろん、

文筆家としても、素晴らしい。

この先もずっと書いてほしい。

こういった文章の書けるおんなのひとは

実は案外得がたい。

はいりさんは、いつか

武田百合子みたいな文筆家になると思う。

何十年後に【片桐はいり全集】が密かに

編まれて、その頃の高校生や会社勤めの

おんなのひとに読みつがれていくと思う。)


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ということで、【小野寺の弟、小野寺の姉】だが、


この映画は、まさに

【片桐はいり】ありきの映画だった。


この小野寺・姉が、

【ぶす】を装ったビジン女優だったら


小野寺・弟、向井理の

心優しい無頓着・イケメンのリアリティも

吹き飛んでしまった・・・・・・だろう、と思った。



映画の中で、姉と弟が

ほぼずっと、ベスト(昔風にいうとチョッキね)を着た

着こなしをしていて、


それが、【チョッキ】好きのわたしのこころを刺激!


似合わなくてもいいや、

チョッキ、買おうと思ってしまった。


(もう、似合う似合わないで

洋服を考えなくなってしまった。

好きな服が似合わないわけないでしょう

という強い開き直り!)


姉と弟が住む古い住宅のインテリアも良かった。


昭和な感じは確実に、わたしのもとへ

リターンしてきている。



今年は


(わたしは11月から

新年が始まったことにしている)


映画をたくさん、観ようと思う。




火曜日(11月4日)


ロウドウの日。


めちゃくちゃ忙しい日、の予定で

気を引き締めて、シゴトバへ行くと


スタッフがひとり、お子さんの急病でお休みとのこと。


そこからは、「嵐のなかの落穂拾ひ」のように働く。


忙しさのせいではないが、

ありえない【大ポカ】をやり

大いに凹む。


帰宅して、朝煮ておいたかぼちゃを頬張り

くくく・・・と涙半粒流して、すぐに膨らんだ。


(つまり、立ち直った)


キブンを変えようと

いつもの塩浴をやめて、

久しぶりに、シャンプーを使って頭を洗った。


シャンプーの、甘いココナッツの香りが

久しぶりに、心地よかった。


労られた、感じがした。



水曜日(11月5日)


シゴトバへ。


昨日に引き続き、スタッフが一人お休み。

しかし、なんとかスムーズに終わる。


やれやれと帰り、(午後7時過ぎ、昨日は8時頃)


肉野菜炒めとほうれん草のおひたしを作り

ごはんと焼きたらこで食べる。


働いた日は、手の込んだご飯は

まったく作れない。


(セブンイレブンで、おでんやら

サラダやら、どんぶりやら買う日も多い)



ロウドウに、食事が浸食される。


こういう時、わたしはちょっぴり途方にくれる。


わたしのため、というより

わたしの家族のために


何より、


将来、自身の作った食事で

自分の健康を養っていく

【若いひと】としての

娘たちのために、途方にくれる。




女手、というコトバに表される

貴重な【手】。


(やりくりしながら、

旬のものを料理し

食卓に載せ続け、


汚れたものを綺麗にし、

乱れたものを整え


傷ついた肌や

病んだカラダや

疲弊した精神をケアする


【手】 ※別に男のひとの手でも良い)



この【手】を、この頃

激しい労働市場が欲しがっているが


それが、ひとびとの【HOME】から

これを奪い取ることであったら


・・・・なんだかイケナイような気がする。



【手】が、当たり前のように

紡ぎ出すもの、


そして、それの【核】になっている

深く、小さな思いが


(あなたよ、健やかであれ、

あなたよ、幸せであれ、という思い)


果たす役割は大きい。



【女手】というコトバに表される、

このかけがえのなさを


(介護のシゴトのなかでも切実に思う)


わたしは、もう一度、考えていこうと思う。






さて、今日は


今日より半年に渡って、週に一度通う

【小説を書く技術を学ぶ】学校に


初めて行く。



いったい、生徒が何人居るのか


(多分、少ない、そして多分、皆、わたしより

わたしの長女Aちゃんの方に年が近い、と思われる)


どういった先生が来るのか

まったくワカラナイが、


・・・・・・行ってくる。



アファメーション!



今日から、sioは


「オハナシを書くひと、

つまり、作家になるために

行動するひと」になります。



※週に一度、夜に「学校」に通うことは、

それの単なる「サポート」でしか、ない。



学校に通い出しても

状況は何も変わらない。



そのサポートをいかに

自分の中で最大限に活かせるかが、鍵だ。




この半年で

わたしは、


自分が今、

何を書きたいのか分析して


綿密にプロットを立て、


自分の文章の癖を洗い出し


直すべきところと

さらに深く追求するところを見つけ


クラスメイトから刺激を大いに受け


先生から、たくさんのものを受け取り


朗らかに、

失敗を怖れず


自身の自信の無さも、受け止め、


そのうえで、


必ず、「書きたいものを書き上げる」という

強い信念を持って、行動します。



(それは自分にリターンする旅でもあるの)



そして、次の半年では

学校に通いながら、


(2週間に一度、先生に原稿を見てもらいながら

投稿作品を仕上げていく過程に入る)


作品を必ず仕上げ、投稿します。



そうしながら、ずっと


作家になる(他者から認められたい)という思いより


書きたいものを書きたい、という

幼い頃から持っていたシンプルな

祈りのような願いを見つめ続けます。


(それは小さな蝋燭の灯りのように

ゆらゆらと温かく灯って揺れている)



そして、常に


その願いに向かって行動していることの幸福と

それができている状況への感謝を忘れません。



来年の今頃、わたしはとても幸福です。


どんなわたしでいるとしても、とても幸福です。






気がついたら、窓の外には雨が降っています。



皆さま、今日も元気で

ジブンらしい一日をお過ごしください!



長い長い文章を読んでくださって、ありがとう、デス。