結婚する時、ハナムケに伯母からもらった言葉
「火事だけはきぃつけられぇ」
未だ仕立てていない反物や、すっかり割れてしまった食器
お祝いに戴いたものも沢山あるんだけど、この言葉は無くならない
泥棒に入られても、一担ぎしか持って行けんけど
火事は全部持っていかれるよ
近所にも迷惑かけるよ
と
知らず知らずに子供たちにも同じことを、よく言っている
火の元大丈夫か?部屋のストーブ消したか?
火事は…「全部持っていくんやろ」
もはや耳にタコの子ども等は、先に続きを言う
10数年前、私の父方の祖父の50回忌、祖母の33回忌の法要があった
父の兄弟で父親の記憶があるのは長子の伯母だけ
当時、昔の田舎で喪主は長男の父だったらしいんだけど
(仏壇の中に当時の葬儀の案内文があり、たしかに喪主に父の名前がある)
父は当時まだ小学校にもあがっておらず、全く記憶がないらしい
この法要でも、父の葬儀ででも話題になったのだけれど
この歳で自分の親の五十回忌、三十三回忌を執り行ったのは、なんとも切ないと
そんなわけで、伯母も父もそれなりに苦労して生きてきた
声がでかくて、気が短くて、大変厳しく、思ったことはズバズバ言うのは伯母も父と同じ
料理が上手で、編み物や裁縫に長けていた
郷里では、夫婦共働きが当たり前な風潮で、おそらく全国でも女性の就業率が高いと思う(今調べたら、現在都道府県5位だそうな)
仕事を持たないのは怠けている、と揶揄されていた
ばあやがいた友達の家ですら、共働きだった
友達の家でも、親戚の家でも、私の周囲で専業主婦だったのは伯母だけ
父ですらが、時々伯母に「楽させてもらって」と憎まれ口を叩いていた
でも、私は伯母の家の子になりたくてなりたくてw
伯母自慢の一人娘のイトコのお姉ちゃんが羨ましくて羨ましくて
帰ったら「お帰り」と言って貰える
玄関や大きなピアノがある応接間には、沢山伯母の作品の綺麗な刺繍が飾ってあって
庭には沢山の花がいつも咲いていて、畑で沢山野菜がなってて
家の中がいつもピカピカで
洋服を何枚も作ってくれて
美味しい料理、その度初めて見る食材でご飯が楽しみで
(今でも覚えているのは、初めてレタスを食べたのは伯母の家で「なんて美味しいものがあったのだろう」と感動したとか、
食べなれているお刺身でも、大葉(これもその時が初体験)が沢山あって「巻いて食べてみ」と言われて、同じ刺身でも、なんてシャレているのだろうと驚いたとか
イトコと一緒に出かけた時、伯母が作ってくれたサンドイッチに微妙にカラシが塗ってあって、お店で食べるやつみたいだ、と話した、とか
挙げればキリがない)
こう書いていると、なんだか、お上品なおしとやかな伯母様と錯覚するけど
まぁ、よく叱られて叱られて、とにかくすぐ怒る
腹に残さない主義なのか、怒ったら後には引きずらないんだけど、その分怒る
母の親戚に行っても、みなアマアマなんだけど、伯母は父と同じような雷はしょっちゅうくらった
だから、少し緊張はするんだけどw
けど、それが心地よかったりもした
遠慮する場所じゃない、という意識がどこかにあった
私の弟は、怖い伯母ちゃんだからと苦手だったけど
父方のイトコは皆、何かあれば伯母に預けられ世話になっている
父も叔父も「どうせ家におるんやし」とのんきに言ってた
そして、そんな小姑の伯母を母は苦手だった
いや、間違いなく嫌いだったw
法事とか、家で行うため、どこの家にもそれ用にかなりの食器が揃っていて、前日までにそれを出して準備するんだけど、伯母はいつも手伝いにきてくれる
元々大雑把な母の片付けている食器、しまっているだけでも一度は洗わないと、だけど、それ以上になかなか良い風味に汚いんだわ
さっと流す程度のはずが、ごしごしやらないとどうにもこうにもな
で、伯母から大目玉を食らっている
大目玉を食らわすけど、それをごしごしと洗うのも伯母
オカンはと言えば、へそを曲げてどこかに逃げて一人ぶつぶつ文句たれてる
食器に限らず、家の中も、四角を丸く掃除というより、四角の中心点だけを撫でただけの様な掃除だったし…
「ねえちゃんは、いつも家にいるから時間が違う」とか「意地悪な小姑」とか言うて
いや、そこ関係ないし…と、幼い頃から同じ様な場面を幾度も見てきている私は
母の味方はできなかった
全く洗わず片付けているわけでなし、洗って片付けている時に適当にせずちゃんとやっていれば、済んでた話
手伝いに来てくれてる伯母ちゃんかわいそう…と
もちろん、母はハタから見たら大雑把でも、本人にしたらちゃんとやってるつもりだから、やっすいプライドを傷つけられるんだろう
何より、それが嫌だったら伯母ちゃんが来る前に、もう少しマシにしたらいいのに…(ま、本人はちゃんと出来てるつもりだからする必要ないと判断していたんだろうけど)
何度か繰り返すうちに、なにかある時は、伯母が手伝いに来てくれるより前に、私が食器を出し洗いなおす、とか、
片付ける際に、次はさっと出きるようにしまおう、とか
やり始めたら、オカンがいうのよ
「あんた、ねぇちゃんみたいな事するねぇ」
「いや、汚いし、伯母ちゃん来る前に綺麗にしといたら色々言われんしいいやろ?」
「やっぱり、あんたもねえちゃんと血がつながっとるんやねぇ。キツイ事いうわ…あんたもねえちゃんみたいに、キツイ人になるんかねえ」
いや、オカン、そこは私に感謝してもらってもいいくらいちゃうん?
とも思うんだけど、ちゃんとしているのに、いちゃもんつけている状態にしか受け取られず
更にオカンのやっすいプライドを触発しただけみたいだった
伯母と母の違いは、こういう物理的なことだけでなく、
こんな出来事があると、愚痴のつもりだろうけど、伯母をなじり「あんな人にはならんといて」と言う
愚痴の相手はいいんだけど、自分の事はたっかい棚にあげてそこだけなのが、なんとも嫌だった
いや、これ伯母から「お母さんみたいになるな」なら言われてもしゃあないかなと
普段母親のすることを見て育っているんだから心配して、話すのはわからなくはない
が、伯母はそういう事を一度も言ったことはなかった
母には叱るけど、母が拗ねてどこかに行き、洗い物を始める伯母は「こういう風にしちゃ駄目なんだよ」「おかあさんの様にはなるな」ではなく
「はこちゃん(母のことを伯母はこう呼んだ)はこういうの苦手やから、あんたがちゃんと手伝えるようになってあげんとならんよ。
伯母ちゃんが教えてあげるから、ちゃんとはこちゃんを手伝ってあげてよ
伯母ちゃんも手伝うし
ナンかあったら伯母ちゃんに言えばいいし
でも、伯母ちゃんが教えてからも出来てなかったら、怒るからね!!
今からこういう事してたら、大きくなってからも絶対邪魔にはならんから」
伯母は、母のようになるな、ではなく、母のフォローをしなさい
自分のためにもやりなさい
と諭すのです。で、この「怒るからね」はとてつもなく怖んだけどw
手が出るというわけでもないのに、なんだかすごく緊張感、威圧感と威厳があった
父と4つしか離れていないけど、伯母というだけとも何か違う
父の家族代表みたいな意識をずっともっていたのかもしれないな、と
単に姪っ子ではなく、もう少しプラスαなにか感じていたように思えてならない
結婚してからも会うたび「料理できるんか?伯母ちゃん教えたろうか」
「家の中はきちんとしとかれ」「貯金しとかれ」
冠婚葬祭のときには「こういう時はこう」と教えてくれるのも伯母だった
アンタだけでなく、ダンナさんが恥かくんやらかね、と
そして、最後はいつも「火事だけは…」
まだ我が家の末っ子が赤ん坊だった時には、帰省すると、実家に「これもって帰り」と車の後部座席いっぱいのオムツを持ってきよる
私のダンナにも「飲みすぎ」だの「肥え過ぎ」だのとストレートの球を投げる(母は私にこそこそ言うだけ)
苦笑いしているダンナに「アンタが病気になろうが死のうが私はどっちでもいいけど、みぃぃと子供らがかわいそうやから言うのよ!!」と言うてw
そして、私も「ちゃんと管理しろ」と怒られるww
ダンナはイトコのお姉ちゃんのダンナさんに心底同情していたww
金銭管理も苦手だった母なので、父が伯母に小遣いの一部を渡し、2人だけの内緒で私と弟に定期を作ってくれていた、ということが判明したのは伯母と父が亡くなってから
そんな伯母と父はほんっっっまによく喧嘩をしていた
お互いに気が強いし、言いたいことはポンポン言うし、喧嘩にならないハズがないんだけど
田舎の方言で「長女」のことを「あんね」と言い(ちなみに長男は「あんま」「あんちゃん」次男以下は「おっちゃん」「おっじゃ」になるw)、父は伯母のことは「あんね」叔父を「おっじゃ」と呼んでた。伯母はいつまでたっても父のことは名前で「けんちゃん」
だから、どんなに激しい喧嘩でも「あんね」「けんちゃん」と今に思えば、文字にするとなんともかわいらしいんだけどその内容は毎回激しく、
その度に伯母と正反対な温和で物静かなダンナさんが間に入って諌めていたw
一見おとなしい伯父が
伯母と一緒にいるのはしんどくないんだろうか、と母はよく口にしていたけど、一番強いのが実は伯父だということを、父も伯母も、私も、知っていたw
ちょうど五十回忌の前後あたりから、父と伯母が気持ち悪いくらいに仲良くなった
いや、もともと基本仲良しなんだろうけど、法事の打ち合わせだ、お墓の相談(それまで祖父母のお骨は本家のお墓に入れてもらってた)
いい機会だから、きちんとしよう、と墓地を用意し、お墓を建立
その向かいには伯母が自分ちのお墓を建てた
これにはびっくりした。
法事が終わっても、週末ごとくらいに伯母夫婦が遊びにきていたらしい
一年以上続いてた
伯母が来たがってしょうがなかったらしい
来るたび、なんだかんだと殆ど伯母が話しをしていたらしい
ある時の週末、伯母夫婦が遊びにきた時、父が伯母の顔色の悪さに気づき
「あんね、一回病院に行け」と
父に飲みすぎだと説教しまくり、結果喧嘩にもなるいつもとは立場が逆
伯母はとりあわず、一緒にいた伯父に「頼むし病院連れて行ったって」と
そこから即入院、一ヶ月としない間に亡くなった
実はこの時、私たち家族は山奥でキャンプしていて連絡がとれず、
お葬式に間に合わず、後でおまいりにいった
祭壇よりも、伯母の沢山の刺繍に目が行って…
あの時、無理にでもどれかもらってくればよかった
それから一年後に父も亡くなった
2人して仲良く、向かい合わせのお墓にいるんだけど、
父の葬儀で皆が「2人して、五十回忌してホッとしたんかねえ 親が連れて行ったんかねえ」と
いや、ずーっと突っ走ってきたけど、寂しがりやって親が恋しくなったんやろうなあ、2人とも
おかげで毎回お参りには便利にさせてもらってますけど
どこかで、自分は父と似ていると思っているけど、
よくよく考えたら、私は父を通り越してその先にいる伯母ちゃんみたいになりたいのかもしれない
最近も母が「嫌な部分は全部ねえちゃん似だねえ」とこぼしていた
父ではなく、伯母らしいww
ま、身内以外からは嫌だろうなあ
キツイもん
ま、でも、伯母ちゃんが我が家を見たら卒倒するやろなあ
家がひっくり返るような勢いで「ちゃんとしられ!!」と
ものすごい剣幕で叱られるだろうなあ
まだまだです
ルーツ トコ。さん
自分と向き合って ルーツを探り、こうして文章にしてる。。。ここに至るまでには どんなにか 悩んで もがいてきたか、、でも今のみーさんは 一歩離れて 乗り越えれてると思う。淡々とした 文章に 力強さ 感じます。
(May 30, 2011 18:30:47)
やっぱり違うよなぁ 欲助さん
やっぱり、みいぃちゃんは、出来る人です。
トコさんの言う通り、生い立ちを整理出来ていて
今の自分をよく理解しておられる。
尊敬しちゃうなぁ。
家事が出来ようが出来まいが、自分を理解出来ていることが、
大人(?)人間として大切なことだと思われます。
伯母さまは、怒っているのでなく、叱っておられたのですね。
素晴らしい伯母さま。 でも対比されるお母さまがいて、
今のみいぃちゃんが出来上がっているんでしょう?
「火事だけはきぃつけられぇ」m(__)m(May 30, 2011 21:02:11)
「火事だけはきぃつけられぇ」
未だ仕立てていない反物や、すっかり割れてしまった食器
お祝いに戴いたものも沢山あるんだけど、この言葉は無くならない
泥棒に入られても、一担ぎしか持って行けんけど
火事は全部持っていかれるよ
近所にも迷惑かけるよ
と
知らず知らずに子供たちにも同じことを、よく言っている
火の元大丈夫か?部屋のストーブ消したか?
火事は…「全部持っていくんやろ」
もはや耳にタコの子ども等は、先に続きを言う
10数年前、私の父方の祖父の50回忌、祖母の33回忌の法要があった
父の兄弟で父親の記憶があるのは長子の伯母だけ
当時、昔の田舎で喪主は長男の父だったらしいんだけど
(仏壇の中に当時の葬儀の案内文があり、たしかに喪主に父の名前がある)
父は当時まだ小学校にもあがっておらず、全く記憶がないらしい
この法要でも、父の葬儀ででも話題になったのだけれど
この歳で自分の親の五十回忌、三十三回忌を執り行ったのは、なんとも切ないと
そんなわけで、伯母も父もそれなりに苦労して生きてきた
声がでかくて、気が短くて、大変厳しく、思ったことはズバズバ言うのは伯母も父と同じ
料理が上手で、編み物や裁縫に長けていた
郷里では、夫婦共働きが当たり前な風潮で、おそらく全国でも女性の就業率が高いと思う(今調べたら、現在都道府県5位だそうな)
仕事を持たないのは怠けている、と揶揄されていた
ばあやがいた友達の家ですら、共働きだった
友達の家でも、親戚の家でも、私の周囲で専業主婦だったのは伯母だけ
父ですらが、時々伯母に「楽させてもらって」と憎まれ口を叩いていた
でも、私は伯母の家の子になりたくてなりたくてw
伯母自慢の一人娘のイトコのお姉ちゃんが羨ましくて羨ましくて
帰ったら「お帰り」と言って貰える
玄関や大きなピアノがある応接間には、沢山伯母の作品の綺麗な刺繍が飾ってあって
庭には沢山の花がいつも咲いていて、畑で沢山野菜がなってて
家の中がいつもピカピカで
洋服を何枚も作ってくれて
美味しい料理、その度初めて見る食材でご飯が楽しみで
(今でも覚えているのは、初めてレタスを食べたのは伯母の家で「なんて美味しいものがあったのだろう」と感動したとか、
食べなれているお刺身でも、大葉(これもその時が初体験)が沢山あって「巻いて食べてみ」と言われて、同じ刺身でも、なんてシャレているのだろうと驚いたとか
イトコと一緒に出かけた時、伯母が作ってくれたサンドイッチに微妙にカラシが塗ってあって、お店で食べるやつみたいだ、と話した、とか
挙げればキリがない)
こう書いていると、なんだか、お上品なおしとやかな伯母様と錯覚するけど
まぁ、よく叱られて叱られて、とにかくすぐ怒る
腹に残さない主義なのか、怒ったら後には引きずらないんだけど、その分怒る
母の親戚に行っても、みなアマアマなんだけど、伯母は父と同じような雷はしょっちゅうくらった
だから、少し緊張はするんだけどw
けど、それが心地よかったりもした
遠慮する場所じゃない、という意識がどこかにあった
私の弟は、怖い伯母ちゃんだからと苦手だったけど
父方のイトコは皆、何かあれば伯母に預けられ世話になっている
父も叔父も「どうせ家におるんやし」とのんきに言ってた
そして、そんな小姑の伯母を母は苦手だった
いや、間違いなく嫌いだったw
法事とか、家で行うため、どこの家にもそれ用にかなりの食器が揃っていて、前日までにそれを出して準備するんだけど、伯母はいつも手伝いにきてくれる
元々大雑把な母の片付けている食器、しまっているだけでも一度は洗わないと、だけど、それ以上になかなか良い風味に汚いんだわ
さっと流す程度のはずが、ごしごしやらないとどうにもこうにもな
で、伯母から大目玉を食らっている
大目玉を食らわすけど、それをごしごしと洗うのも伯母
オカンはと言えば、へそを曲げてどこかに逃げて一人ぶつぶつ文句たれてる
食器に限らず、家の中も、四角を丸く掃除というより、四角の中心点だけを撫でただけの様な掃除だったし…
「ねえちゃんは、いつも家にいるから時間が違う」とか「意地悪な小姑」とか言うて
いや、そこ関係ないし…と、幼い頃から同じ様な場面を幾度も見てきている私は
母の味方はできなかった
全く洗わず片付けているわけでなし、洗って片付けている時に適当にせずちゃんとやっていれば、済んでた話
手伝いに来てくれてる伯母ちゃんかわいそう…と
もちろん、母はハタから見たら大雑把でも、本人にしたらちゃんとやってるつもりだから、やっすいプライドを傷つけられるんだろう
何より、それが嫌だったら伯母ちゃんが来る前に、もう少しマシにしたらいいのに…(ま、本人はちゃんと出来てるつもりだからする必要ないと判断していたんだろうけど)
何度か繰り返すうちに、なにかある時は、伯母が手伝いに来てくれるより前に、私が食器を出し洗いなおす、とか、
片付ける際に、次はさっと出きるようにしまおう、とか
やり始めたら、オカンがいうのよ
「あんた、ねぇちゃんみたいな事するねぇ」
「いや、汚いし、伯母ちゃん来る前に綺麗にしといたら色々言われんしいいやろ?」
「やっぱり、あんたもねえちゃんと血がつながっとるんやねぇ。キツイ事いうわ…あんたもねえちゃんみたいに、キツイ人になるんかねえ」
いや、オカン、そこは私に感謝してもらってもいいくらいちゃうん?
とも思うんだけど、ちゃんとしているのに、いちゃもんつけている状態にしか受け取られず
更にオカンのやっすいプライドを触発しただけみたいだった
伯母と母の違いは、こういう物理的なことだけでなく、
こんな出来事があると、愚痴のつもりだろうけど、伯母をなじり「あんな人にはならんといて」と言う
愚痴の相手はいいんだけど、自分の事はたっかい棚にあげてそこだけなのが、なんとも嫌だった
いや、これ伯母から「お母さんみたいになるな」なら言われてもしゃあないかなと
普段母親のすることを見て育っているんだから心配して、話すのはわからなくはない
が、伯母はそういう事を一度も言ったことはなかった
母には叱るけど、母が拗ねてどこかに行き、洗い物を始める伯母は「こういう風にしちゃ駄目なんだよ」「おかあさんの様にはなるな」ではなく
「はこちゃん(母のことを伯母はこう呼んだ)はこういうの苦手やから、あんたがちゃんと手伝えるようになってあげんとならんよ。
伯母ちゃんが教えてあげるから、ちゃんとはこちゃんを手伝ってあげてよ
伯母ちゃんも手伝うし
ナンかあったら伯母ちゃんに言えばいいし
でも、伯母ちゃんが教えてからも出来てなかったら、怒るからね!!
今からこういう事してたら、大きくなってからも絶対邪魔にはならんから」
伯母は、母のようになるな、ではなく、母のフォローをしなさい
自分のためにもやりなさい
と諭すのです。で、この「怒るからね」はとてつもなく怖んだけどw
手が出るというわけでもないのに、なんだかすごく緊張感、威圧感と威厳があった
父と4つしか離れていないけど、伯母というだけとも何か違う
父の家族代表みたいな意識をずっともっていたのかもしれないな、と
単に姪っ子ではなく、もう少しプラスαなにか感じていたように思えてならない
結婚してからも会うたび「料理できるんか?伯母ちゃん教えたろうか」
「家の中はきちんとしとかれ」「貯金しとかれ」
冠婚葬祭のときには「こういう時はこう」と教えてくれるのも伯母だった
アンタだけでなく、ダンナさんが恥かくんやらかね、と
そして、最後はいつも「火事だけは…」
まだ我が家の末っ子が赤ん坊だった時には、帰省すると、実家に「これもって帰り」と車の後部座席いっぱいのオムツを持ってきよる
私のダンナにも「飲みすぎ」だの「肥え過ぎ」だのとストレートの球を投げる(母は私にこそこそ言うだけ)
苦笑いしているダンナに「アンタが病気になろうが死のうが私はどっちでもいいけど、みぃぃと子供らがかわいそうやから言うのよ!!」と言うてw
そして、私も「ちゃんと管理しろ」と怒られるww
ダンナはイトコのお姉ちゃんのダンナさんに心底同情していたww
金銭管理も苦手だった母なので、父が伯母に小遣いの一部を渡し、2人だけの内緒で私と弟に定期を作ってくれていた、ということが判明したのは伯母と父が亡くなってから
そんな伯母と父はほんっっっまによく喧嘩をしていた
お互いに気が強いし、言いたいことはポンポン言うし、喧嘩にならないハズがないんだけど
田舎の方言で「長女」のことを「あんね」と言い(ちなみに長男は「あんま」「あんちゃん」次男以下は「おっちゃん」「おっじゃ」になるw)、父は伯母のことは「あんね」叔父を「おっじゃ」と呼んでた。伯母はいつまでたっても父のことは名前で「けんちゃん」
だから、どんなに激しい喧嘩でも「あんね」「けんちゃん」と今に思えば、文字にするとなんともかわいらしいんだけどその内容は毎回激しく、
その度に伯母と正反対な温和で物静かなダンナさんが間に入って諌めていたw
一見おとなしい伯父が
伯母と一緒にいるのはしんどくないんだろうか、と母はよく口にしていたけど、一番強いのが実は伯父だということを、父も伯母も、私も、知っていたw
ちょうど五十回忌の前後あたりから、父と伯母が気持ち悪いくらいに仲良くなった
いや、もともと基本仲良しなんだろうけど、法事の打ち合わせだ、お墓の相談(それまで祖父母のお骨は本家のお墓に入れてもらってた)
いい機会だから、きちんとしよう、と墓地を用意し、お墓を建立
その向かいには伯母が自分ちのお墓を建てた
これにはびっくりした。
法事が終わっても、週末ごとくらいに伯母夫婦が遊びにきていたらしい
一年以上続いてた
伯母が来たがってしょうがなかったらしい
来るたび、なんだかんだと殆ど伯母が話しをしていたらしい
ある時の週末、伯母夫婦が遊びにきた時、父が伯母の顔色の悪さに気づき
「あんね、一回病院に行け」と
父に飲みすぎだと説教しまくり、結果喧嘩にもなるいつもとは立場が逆
伯母はとりあわず、一緒にいた伯父に「頼むし病院連れて行ったって」と
そこから即入院、一ヶ月としない間に亡くなった
実はこの時、私たち家族は山奥でキャンプしていて連絡がとれず、
お葬式に間に合わず、後でおまいりにいった
祭壇よりも、伯母の沢山の刺繍に目が行って…
あの時、無理にでもどれかもらってくればよかった
それから一年後に父も亡くなった
2人して仲良く、向かい合わせのお墓にいるんだけど、
父の葬儀で皆が「2人して、五十回忌してホッとしたんかねえ 親が連れて行ったんかねえ」と
いや、ずーっと突っ走ってきたけど、寂しがりやって親が恋しくなったんやろうなあ、2人とも
おかげで毎回お参りには便利にさせてもらってますけど
どこかで、自分は父と似ていると思っているけど、
よくよく考えたら、私は父を通り越してその先にいる伯母ちゃんみたいになりたいのかもしれない
最近も母が「嫌な部分は全部ねえちゃん似だねえ」とこぼしていた
父ではなく、伯母らしいww
ま、身内以外からは嫌だろうなあ
キツイもん
ま、でも、伯母ちゃんが我が家を見たら卒倒するやろなあ
家がひっくり返るような勢いで「ちゃんとしられ!!」と
ものすごい剣幕で叱られるだろうなあ
まだまだです
ルーツ トコ。さん
自分と向き合って ルーツを探り、こうして文章にしてる。。。ここに至るまでには どんなにか 悩んで もがいてきたか、、でも今のみーさんは 一歩離れて 乗り越えれてると思う。淡々とした 文章に 力強さ 感じます。
(May 30, 2011 18:30:47)
やっぱり違うよなぁ 欲助さん
やっぱり、みいぃちゃんは、出来る人です。
トコさんの言う通り、生い立ちを整理出来ていて
今の自分をよく理解しておられる。
尊敬しちゃうなぁ。
家事が出来ようが出来まいが、自分を理解出来ていることが、
大人(?)人間として大切なことだと思われます。
伯母さまは、怒っているのでなく、叱っておられたのですね。
素晴らしい伯母さま。 でも対比されるお母さまがいて、
今のみいぃちゃんが出来上がっているんでしょう?
「火事だけはきぃつけられぇ」m(__)m(May 30, 2011 21:02:11)