フレディ・マーキュリーさんの

 

「華やかな孤独」を読み終わった後

 

 

孤独で寂しくて寂しくてたまらない感情が

 

私を襲いました。

 

フレディ・マーキュリーさんが本の中で

 

口癖のように言っていた

 

「幸せが欲しい」という言葉が

 

私の心にも

 

深く突き刺さりました。

 

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私もフレディさんのように

 

ずっと孤独を抱えて

 

生きていた頃があった事を

 

思い出しました。

 

フレディさんと私では

 

全然規模は違いますが、

 

私も

 

私の成功体験

 

仲の良い友達との時間

 

それらが手に入った後も

 

いつも何かしらの物足りなさを

 

感じていました。

 

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私は血が繋がっている家族と

 

長い時間一緒に暮らしています。

 

今も血の繋がる母親と暮らしています。

 

けれども私は

 

血が繋がった家族を

 

本当の家族と感じる事ができません。

 

余りにも血の繋がった家族とは

 

感覚が違い過ぎて

 

余りにも価値観や

 

モノの考え方・捉え方が違い過ぎて

 

家族の中では私らしさを出す事を

 

禁止される事が多いです。

 

そういう家族の前では

 

本来の私を隠し

 

常に演じるように生きています。

 

本来の私を隠して生きないと

 

家族との関係性がギクシャクするので、

 

私は家族と一緒の時は

 

微妙な緊張状態の中で

 

過ごしています。

 

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本来の私で過ごせる

 

素の私をそのまま受け入れてくれる人たちは

 

外で見つかりました。

 

だから私は

 

私を私らしく生かしてくれる人たちと

 

一緒に暮らしたい願望を

 

子供の頃からずっと持っています。

 

そのことをハッキリ思い出しました。

 

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フレディさんがどれだけ成功を収めても

 

フレディさんにどれだけ才能があっても

 

フレディさんの才能や成功を

 

どれほど多くの人間が認めてくれたとしても

 

それだけでは

 

心が満たされ無いこと

 

穏やかな時間が得られないことは

 

私にも容易に想像する事ができました。

 

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自分で自分を認められないと

 

自分や周りを延々と責め続け

 

自分で自分を不安定な状態に

 

追い込んでしまう事は

 

私にも経験があるので

 

その心の葛藤もよく分かりました。

 

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人の個人差は非常に大きいと思います。

 

そして想像を超える差が存在する場合もあります。

 

個人の違いは家族間でも

 

大差ないように思います。

 

性質が大きく違う者同士は

 

相手が欲する物を

 

家族であっても

 

与えるのが難しい場合があります。

 

相手を大切に思っているとしても

 

その人が望んでいる要望に気付けるかどうかは

 

様々な要因が影響を与え合うので

 

非常に難しい場合があるように思います。

 

相手を大切に思う気持ちと

 

相手を深くまで理解する行為は

 

全く別次元の話になります。

 

そこに多くの人は関係を持たせてしまうから

 

おかしな方向に思考が向かうように思います。

 

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その状況にフレディさんは

 

気付くのが難しかったように思います。

 

フレディさんの短気が

 

フレディさんの幸せを

 

自分で遠避けてしまったように思います。

 

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「華やかな孤独」を読み終わった

 

その日の深夜

 

不意に目が覚めてしまいました。

 

その時私にも

 

深くて大きな孤独が

 

口を大きく開いた状態で残っている事に

 

気付きました。

 

私は長年忘れていただけで

 

対処できずに放置していたことを

 

この時不意に気付きました。 (;´▽`A``

 

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母の感覚と一致しない私の行動を

 

拒絶しか行えない

 

母と一緒に暮らしている限り

 

私はこの先も母に拒絶され続ける事になります。

 

母は無意識に私を

 

この先も孤独に追いやる行動を

 

取り続けるように思います。

 

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母は私にダメージを与え続けている事に

 

私が何を言っても無視して

 

気付く気がないから

 

私にダメージを与え続けながら

 

私から愛情をむしり取ろうとします。

 

私に愛情をクレクレして来る母との生活は

 

結構骨が折れる毎日となります。

 

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この状況下であるにもかかわらず

 

私はよく頑張っていると思いました。

 

( ̄m ̄〃)ぷぷっ!

 

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母は私の私らしさを認めたがらず

 

母の好みをひたすら

 

私にも押し付けようと頑張ります。

 

私の好みはひたすら無視を続ける母の反応と

 

真逆の行動を取り続けます。

 

母は私に妙で身勝手な期待を行い

 

私が期待に応えないと

 

私に暴言を吐き

 

私の尊厳を貶める言葉を使って来ます。

 

母が孤独である責任まで私に押し付けて

 

私を不義理と責め立てます。 ((>д<))

 

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私の愛情を奪う事ばかり考える母から

 

逃げずに向かい続ける私の頑張りを褒め

 

私に究極の孤独を与え続ける母親は

 

私にこの上もなく

 

貴重な孤独体験を与えているように思いました。

 

その貴重な体験をこの時初めて私は母に

 

「ありがとうございます。」と

 

心の中でお礼を伝える事ができました。 (。-人-。)

 

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私にも

 

溢れる程の愛情を与えてくれる存在が居ます。

 

これまでの人生の中で

 

2度そういう存在が現れました。

 

最初は

 

学生時代孤独だった私に

 

ありったけの愛情を注いでくれた

 

高校1年から飼い始めた愛犬です。

 

愛犬は私だけを特別扱いしてくれました。

 

家族の中で私だけを別格に

 

愛してくれました。

 

その愛犬の愛情深い愛を思い出したので、

 

愛犬に注いでもらった

 

私への愛の深さに対してと

 

私を助けに来てくれたお礼を

 

伝えたくなりました。 (^人^)

 

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2度目はダーリンでした。

 

ダーリンはそのままの私を愛してくれました。

 

私が私らしく生きる事を応援してくれました。

 

ありのままの私を認めてくれて

 

私に無償の愛を体験させてくれました。

 

ダーリンは私の尊厳を貶めた事は無く

 

一緒に色々悩みながら

 

常に私を大きな愛で包もうとしてくれました。

 

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私はダーリンが私を深く愛してくれて

 

愛ゆえの言葉・行動・態度を

 

見せて体験させてもらったので

 

私を深く愛せるように

 

私を変える事ができました。

 

今の私を作っているのは

 

間違いなくダーリンのお陰が大きいと思います。

 

それでダーリンにも

 

お礼を伝えたくなりました。 (^人^)

 

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私は愛犬とダーリンの愛を知り

 

愛を大量に受け取れたお陰で

 

愛が何たるかが

 

分かったように思います。

 

愛犬とダーリンに出会ってなければ

 

私もフレディ・マーキュリーさんのように

 

亡霊のように生きていた様に思います。

 

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母親が私に与えた

 

愛情のように思っていたモノの正体は

 

愛情もどきであった事に

 

気付く事ができました。

 

ダーリンと愛犬から受け取った愛は

 

軽やかで穏やかで細やかな愛情だったので

 

違いにハッキリ気付けました。

 

v(´∀`*v)ピース

 

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愛犬とダーリンの愛情によって

 

私は私を深く愛せるようになりました。

 

日常で孤独を感じる事は

 

今は滅多に起きなくなりました。

 

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愛犬がまだ現れてなかった子供時代は

 

私の事を

 

孤独で惨めな存在のように

 

思う事がありました。

 

その頃の私の孤独感を思い出したので、

 

私の孤独と惨めさを感じ尽くしました。

 

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その当時の感覚を思い出し泣きました。

 

ウワァァ━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━ン!!

 

気が済むまで延々と泣き続けました。

 

そしてその頃の私を今の私が

 

思いっきり慰めました。

 

ヨシヨシ( ,,´・ω・)ノ"(´っω・`。)

 

昔の私を思って泣いた事で

 

子供時代の乾燥した

 

からっからの私の心が

 

潤って行くのが分かりました。 ヾ(@^▽^@)ノ

 

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母は幼い頃他人に私を

 

「この子変なんです。」と紹介していました。

 

母と私は全く違う人間と

 

母は他人にアピールしたかったように思います。

 

けれども幼かった私はそう紹介される度に

 

いたたまれない感情を抱きました。

 

惨めな気持ちにさせられました。

 

私も他の人と似てない事は理解してましたが、

 

母が見ず知らずの他人に対して

 

まず私を変と印象付ける母の行為が

 

私は酷く嫌でした。

 

私が嫌がっても

 

母は私を他人にそう紹介し続けたので

 

私は傷付き

 

母は私を仲間外れにしたがっている。

 

そう私に思い込ませることになりました。

 

母は私の味方になる気は無いと

 

幼い私は母をそういう目で

 

見るようになりました。 (((゜д゜;)))

 

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小さい頃母が私を他人に「変な子」と紹介した事で

 

紆余曲折の末

 

私は私の特殊な所を

 

他人との違いを

 

素直に認められるようになりました。

 

そして同時に他人の変な所も

 

簡単に受け入れる事ができるようになりました。

 

人は誰しもみんな違っていると

 

素直に受け止められるようになりました。

 

私にとって

 

「他人と違う所」

 

「大勢と違って変な所」は

 

誰もが持つ不変的な事だったので、

 

他人とのどの様な違いも

 

他人のどの様な特殊な所も

 

すんなり認めることができるようになりました。

 

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私は幼い頃からずっと

 

私を自分で認めていました。

 

私が感じている孤独に耐えるには

 

私を好きなまま居続ける事が

 

大前提である事に気付いていたので

 

私を嫌いにならずに済む選択を

 

自然と選ぶようになりました。

 

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母が私を変と紹介した事が

 

今の私を作った土台にあることに気付き

 

この時母に

 

「私を変と紹介してくれてありがとう」と

 

素直に心の中で

 

お礼を伝える事ができました。 (^人^)

 

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そこまでつらつら考えた後

 

「華やかな孤独」」を読んだ後に感じた

 

強力な孤独感が

 

私から消えている事に気付きました。

 

そして私の人生の節々で

 

家族以外から愛情を

 

たっぷり受け取っていた事を思い出し

 

私が私をずっと好きでいられたことは

 

出会った存在たちのお陰と素直に思えて

 

嬉しくなりました。

 

その後幸せな気持ちのまま

 

眠りに着きました。

 

(人´∀`*).。:*+゜゜+*:.。.*:+☆