今年度に入ってから 全く仕事をしていない。

以前 お世話になっていた事務所を辞めたから

やれることがなくなってしまったのだ。

辞める時には 次の活動をあれこれ考えていたのだけれど

実際には動かなかった。

いや、動きかけて止めた。

自分でもよく分からないけれど、

「一度立ち止まれ」という声が

体の奥から聞こえて来たような感覚だ。

 

3年ほど前、約4年間寝たきりだった母を見送り、

私は半分燃え尽きてしまった。

一度リセットしないと 新しいスタートを切れないのだろう。

 

母を見送ってから どう死ぬかということばかり考えるようになった。

どう死ぬかを考えることは

どう生きたいかを考えることだ。

 

自然に断捨離を始めていた。

もともと職業にしたいほど整理収納が大好きだが、

もっとモノを手放したいという欲求に突き動かされていた。

どう生きるかは 何と生きるかということでもある。

私とモノとの向き合いが始まった。

少し早めの終活でもある。

それは 過去の自分と折り合いをつけることであり、

自分のある部分を切り捨て、

新しい自分を作る余地を生み出す作業だ。

 

少しモノが減って家の中が落ち着いて来た頃、

息子の就活が始まった。

 

私自身、就活の経験がない。

就活が必要な仕事に就いたことがないのだ。

息子の横で 初めての就活というものを観察している。

なかなかに緊張感のある日々だ。

若く未熟な息子が 自分なりに考え、悩み、選択して行動する。

ハラハラしながらも 少しずつ変化して行く様子を見るのは

嬉しいし、大いに刺激になる。

これまでエスカレーター式の学校で 苦労を知らずに生きて来た彼が

身を持って「人生は上手く行かないこともある」と感じられるのは

本当に貴重な経験だ。

もう何年かすると、彼は「人生は上手く行かないことばかりだ」と感じるかも知れない。

その痛みに負けず、進むべき道を探し出すには

今の痛みが役に立つはずだ。

 

親子して 人生のひとつの岐路に立っているのだな。

お互い、シュウカツ 頑張りましょう。