「はじめに関係がある」
宗教哲学者マルティン・ブーバーの名著
「我と汝」にある言葉です。
最近、コミュニケーションという言葉に
かなり疲れを感じています。
反発すら感じます。
なぜだろう・・・と考えていたのですが
コミュニケーション「術」に
話が集中するからのようです。
人間関係や仕事が「うまくいかず」
悩んだり苦しんだりする、
だから「うまくやろう」として
特効薬のような「術」がほしくなる。
もちろん、私もこのようなメンタリティーから
自由ではありません。
でも、それが変わったとすれば
心理療法「ハコミ・セラピー」の
2年間のトレーニングを受けたからです。
「ハコミ・セラピー」には
「コンタクト」という技法があります。
相手と一緒にいて、何となく「疲れているのかな・・」
「悲しいのかな・・」「エキサイトしているかな・・・」と
感じるものがあります。
それを「悲しい?」「怖い?」などと言葉に出して
相手への共感を示すのです。
外れてしまうこともあるのですが、
その場合は相手が訂正してくれますし、
少なくとも自分の誠意は伝わります。
講師から言われたのは、相手を理解しようとする
純粋な意図があれば、それは伝わるものだ、
ということです。
発達心理学によると、乳児や幼児のときから
人間は共感を示すのだそうです。
例えば悲しそうな顔をした母親の顔を見せると
心配そうな表情を見せます。
つまり人間には、相手を感じる本能がある。
なのに、どうして他人に共感できなくなるかというと
「ノイズ」が入るからです。
ノイズというのは、自己防衛反応のことです。
人間は生命体として、自分を守ったり、
サバイバルや子孫繁栄のために、
危険なものを遠ざけ、好ましいものを近づけようとする。
それ自体は悪いものではありません。
しかし、他人の内面を感じようとするときには
障害となりやすいです。
自己防衛反応は、自我の目覚めとともに、
どんどん固くなってきます。
そうして、個人と個人は分離してゆきます。
ふだん、「自分」と「他人」は別々にあり、
その間をつなぐためにコミュニケーションがあると
私たちは考えます。
しかしハコミ・セラピーは、反対の視点をとります。
「あなた」と「わたし」は、そもそもつながっている。
はじめにあるのは関係で、個人個人ではない。
人間が生まれたときは、「自分」と「他」の区別はありません。
3歳くらいになり、自我が目覚めてから、
始めて「自分」が「他」から分離するのです。
でも、他人に共感する感性は
なくなるわけではなく、埋もれるだけです。
私たちの日常は、想像以上に
自己防衛反応で動いているものです。
それは完璧主義だったり、罪悪感や不安だったり、
苛立ちであったり過剰な優しさであったり
いろいろな形をとります。
これらは、みなノイズです。
心を落ち着かせ、ノイズを下げると
共感の感性は、自然と現れてきます。
「努力」「がんばり」では達成できません。
ハコミ・セラピーの講師からは、
「努力を今の80%にしてください」と
よく言われました。
私は教育機関で、人相手の仕事をしています。
注意するのは、自分の感じているのが
「共感」なのか「反応」なのか、の区別です。
例えば「この人冷たそうだな」「カワイイな」などと思ったら
それは「反応」で、自己防衛本能から来ています。
でもボワーッと、「何か気ぜわしいような・・・」などと
通奏低音のように聴こえる何かがあると、
「共感」からくる感じであることが多いです。
これを感じるためには、自分の心が落ち着く必要があります。
部屋のエアコンを誰かが消したとき、
急に静かになって、「ああ、今までエアコンの音がしてたんだ」と
気づくことはないでしょうか?
ノイズが下がり、共感を感じられる瞬間は、
これとよく似ています。
最近、よく知られてきた「マインドフルネス」は
ノイズを下げる習慣をつけるのに、とても効果的です。
マインドフルネスのことは、また改めて書きたく思います。