広島で爆心地からいちばん近い小学校で
被爆建物のガイドをしていたことはありますが
重要文化財にも指定された「被服支廠(ひふくししょう)」には
初めて敷地内に入って見学しました
被爆建物のガイドをしていたことはありますが
重要文化財にも指定された「被服支廠(ひふくししょう)」には
初めて敷地内に入って見学しました
耐震工事後の活用について議論されていることも知ることができたので
どのように遺したいか自分の意見も意識できます
第2回 大人の平和学習
【重要文化財:被服支廠見学会】
第2回 大人の平和学習
【重要文化財:被服支廠見学会】
ガイドしてくださったのは
被爆体験伝承者 藤川晴美さん
Tree of Peace 平和の木プロジェクト代表
東 利恵さんからのお声がけをいただいて
参加しました
中国や東南アジアへの出撃基地で
被爆後は救護所となった
加害と被害の歴史がある場所です
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今も広大な敷地と建物が残っている被服支廠ですが
当時は周辺のテレビ新広島や広島県工業高校も含めた敷地だったとのこと
1915年に建設された原爆ドーム(当時は産業奨励館)の
2年前1913年に建設され(竣工1914年)
兵士が必要とする3支廠(食・兵器・軍服)のうち
陸軍兵士の軍服・軍靴等の製造・貯蔵を担う施設で
被爆直後は、被爆者の臨時救護所として使用されたそうです。
ふんだんな資材と強固な設計の被服支廠は
13もの庫と本部や機関所などの施設に加え
2,000人近くの職員には福利厚生が整った(食堂や保育所・医務室完備)
女性の職場としてはすばらしい条件だったそうです
戦局の敗色が濃くなるにつれ
建物の中には物資がなくなり
空っぽの状態だったから
被爆した方を受け容れることができたとも…
![image](https://stat.ameba.jp/user_images/20240507/20/little-rinda/c7/24/j/o1080081015435821622.jpg?caw=800)
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この場所で
東さんの息子さん(東京でバンド活動をされています)の
平和への想いをあらわされた歌を聴かせていただきました
(Tree of Peace 平和の木プロジェクト:被爆樹木をつかった作品制作と周知活動)
を尊敬され 応援されているお気持ちも
同じ世代の息子を持つ母親として感動しました。
![image](https://stat.ameba.jp/user_images/20240507/20/little-rinda/69/c6/j/o1080081015435821845.jpg?caw=800)
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ガイドの藤川さんが教えてくださった
「広島県のHPにある被服支廠の紹介映像がすごいの!!」
同じ世代の息子を持つ母親として感動しました。
![image](https://stat.ameba.jp/user_images/20240507/20/little-rinda/69/c6/j/o1080081015435821845.jpg?caw=800)
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ガイドの藤川さんが教えてくださった
「広島県のHPにある被服支廠の紹介映像がすごいの!!」
建物の中には入ることができないので
この映像は ほんとにすごいです
参加者のおひとりが
「大人になったら 自分で学ぼうとしなければ
子どもの頃のように(自動的に)学ぶことができない」
と話されていましたが
本当にそのとおりで
自分から行動しなければ
広島で生まれ育っていても
現存する希少な被爆建物の被服支廠の活用について
議論されていることも知らないままでした
意義のある遺し方 活用の仕方は何があるのか
自分の意見として考える意識を持てました
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