法華経に「等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)」
ということばがあるらしいです
私の名前に「妙」の文字があるので
「妙」のつくことばや名前には独占欲的な反応をしてしまいますが
やっぱり このことばにも過敏に反応します
妙覚(みょうかく)というのは 究極の覚り(さとり)のことで
覚りというものがある という言葉や意味を知り
道を登って行き
いよいよ覚りまであと一歩、ほぼ究極の覚りというところが
等覚(とうかく)なんだそうです
等覚の先に 究極の覚り(妙覚)があると思いきや
究極の覚り(妙覚)は 足下にある・・・とのこと
覚りたいとは意識していないけれど
興味があることは探究したい
探究しているときは 一点をめざして張りつめているイメージですが
ふと力を抜いて「今」に気づくと
大切なものが「ここ」にある
「等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)」
ということがを思い出すときの私の感覚です
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