悲しくなると、あなたは自分によくないことが起こったと思う。
自分によくないことが起こったというのは解釈なのだが、
あなたはそこから逃げ出そうとしている。
あなたはけっしてそれに瞑想しない。
そのようなとき、あなたはだれかのところへ行こうとする。
パーティーへ、クラブへ、あるいはテレビやラジオをつけたり、
新聞を読みはじめたり、とにかく忘れようとしてなにかをする。
このような間違った態度、
悲しみはよくないという態度が、あなたに教え込まれてきた。
それはなにひとつ悪いものではない。
それは生のもうひとつの極だ。
幸福は一方の極であり、悲しみはもう一方の極だ。
至福はひとつの極であって、惨めさはもうひとつの極だ。
「惨めさ」
私はわりと得意な(おちいりやすい)反応で感情なんだけど
心地よくはない
なんとか そこから抜け出たいとあれこれ考える
なんとか そこから抜け出たいと気にしないようにする
OSHOは 「惨めさ」「悲しみ」は 「深み」と言ってるのね
暗闇は いつもある と言ってるのね
暗闇は 「任脈」を想像させる
「任脈」は主要な経絡で「陰」の経絡
大切な気の流れ
…そうねぇ
私も 悲しみがあるひとに惹かれるもんね
明るくけらけらとしてても
その奥に感じる 悲しみや深み に惹かれるもんね