「うん それがしたいよ」と今なら言える  ”うわぬりした『芸事をならいたい』は” | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

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東洋医学と西洋医学を融合し
陰陽五行理論とからだの反応をもとにした
キネシオロジー(筋肉応用学)を使って
無意識のからだのストレス反応を
意識的に変えることで
気づきと健康に役立つサポートをしています

「あんたのおかあさんは

あんたに 勉強しかさせんかったんじゃろ

(料理なんかしてこんかったんじゃろ)」

 

若い頃 そう言われたことがあった

 

 

どういう意味で 私に言われたのかは

その人にしかわからないが

 

そう言われた私は

「おかあさんが悪いわけじゃない

料理ができないのは 私ができないだけだ」

と そう言われる私を

母に申し訳なく想った

 

 

だからなのか どうなのか

 

その後

主婦となって10数年経ったころ

調理師の免許を取ることとなった

 

 

これで 「あんたのおかあさんは・・・」に

リベンジしたのかどうかは わからないけれど

 

 

子どもの頃 

勉強ばかりしてきたわけじゃなかったけれど

興味のあることを学ぶのは 探究することは

好きみたいだ

 

でも あのときは

「うん 興味のあることを学ぶのは好きよ」

とは 言えなかった

 

 

 

何かを学べるって

時代や環境によっては

当たり前にできることじゃない

 

 

だけど 今 は

自分のじゃまをするのは 自分でしかない

(ということを 教えてもらったのだけど)


 

書くこと

自分を表現すること

 

というのも

私の好きなことと したいこと 

 

 

 

軽 は どんなにならいたい気持ちがあっただろう

 

あのときの 軽 は 私 かもしれない

 

 

吉 は ならわせてやれる許可をどうして出さなかったのだろう

 

あのときの 吉 は 私が私に かもしれない

 

 

 

 

興味のあることを探究すること

 

書くこと

 

自分を表現すること

 

 

「うん それがしたいよ」

 

私のしたい気持ちを

私が私に許可してあげる

 

 

 

 

* 料理はするようになったさ♪

   ・・・上手 とか 好き とはちがうけれど