目標設定「私が素直になれる花」 | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

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無意識のストレス反応を意識的に変化させて
気づきと自然治癒力を高め 自分や周りのひとの存在に光をみる人生を楽しんでいます

超覚寺さまのFacebookで 目にしたことば 

 

5/6の言葉です。

『 誕生日というのは、
  自分が祝ったり、
  祝われたりする日ではありません。...
  お母さんに感謝する日です。
  母と食事するなり、
  いなければお墓に行くなり、
  母を考えて過ごす日です。

       映画評論家 淀川長治  』

 映画評論家の淀川長治氏(1998年寂、行年90歳)、作家の永六輔氏、イラストレーターの和田誠氏、歌手のさだまさし氏。4人とも誕生日が同じ4月10日というつながりがあって、ある年の誕生日、永氏らは最年長の淀川氏を食事に招待しようとしたそうです。

 ところが、「私は母と一緒に過ごします。誕生日というのは、自分が祝ったり祝われたりする日ではありません。お母さんに感謝する日です。母と食事するなり、いなければお墓に行くなり、母を考えて過ごす日です。」と淀川氏に断られたことを、永氏が著書『親と子(岩波新書)』の中で紹介しています。それ以来、他の3人も淀川さんの言葉に従っているそうです。

 自分の誕生日は、母親が陣痛に耐えて自分を産んでくれた日です。だから、自分を産んでくれた母親に感謝する日なのです。

 また逆に、子供の誕生日は、自分が親になった日、親としての誕生日でもある訳で、だから、自分のところに生まれてくれた子供に感謝する日でもあるのです。

 この淀川長治さんの言葉は、初め2009年の5月の母の日の週に掲示したのですが、それを読んで実践した方がいるのです。ウチのお寺の御門徒さんの娘さんなのですが、翌年の2月3日のご自身の誕生日にお母様にお花を贈ったのです。「私を生んでくれてありがとう」というメッセージカードが添えてあったそうです。その話を伺った時はお父様もいましたが、「お互い男親は寂しいもんですなぁ。母親には敵いませんね」と慰め合いました。このような話を聞くと本当に嬉しく、掲示して良かったと思いました。

 先日、別な方と似たような話をしました。今まで同じ言葉を掲示したことは無かったのですが、今月の第1週目は、またこの言葉を掲示しました。当分5月の母の日の期間は、この淀川さんの言葉を掲示しようと思っています。

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目にしてしまった・・・

シェアしてしまった・・・

 

となると これは 私に無縁の話ではなさそうだ

 

 

私は 母に素直にない

まったくではないが 肝心なところの表現は 「私」に追いついていない

 

自分から ハグ するとか

「生んでくれてありがとう」と 正面切って言えていない

 

後悔するより やっておこう

 

 

目標設定「私が素直になれる花」

 

私は三人姉妹だが

「母と娘たち」ではなく

「母と私」 の 関係性を表したような花束になった気がする 

 

 

 

 

花屋さんに

「(買った次の日に渡すなら) 涼しいところに立てておいてください」

と 教えてもらった

 

「花を立てておく」?

どうやって・・・?

 

家の中で 花を立てることができそうな「代物」と言えば

 

これ??

アイロン台を立てて 挿してみた(笑)

 

我ながら 「えらい」と想うのだけど、どう??

 

 

 

 

母には 何も告げず

いきなり 実家を訪れた

 

留守なら 留守でもいいけれど

たぶん

きっと

うまくいく

 

 

そして 母はいた

 

「どしたん?

えーーー?

サプライズ!」

 

と 言っている

 

 

私の内側は どきどきしている

花束を渡しただけでは 達成ではないの

 

ハグ を する

 

まだ 達成ではないの

 

「生んでもらって ありがとうって言おうと想って・・・」

 

・・・ありゃ、まだ うまく言えんかったじゃん

 

「生んでくれてありがとう」って 言って欲しかったが

ここまでで よしとしよう

 

「生まれてくれて ありがとう」

 

母も私も 泣きそうになるのを やめている

 

 

 

 

 

 

そうこうしていたら

外出していた父が 帰ってきた

 

「お父さん、妙子が ひょこひょこ 来たよ」

母が 父を迎えながらそう言うと

 

「お? 妙子が のこのこ 来た?」

 

・・・お父さん

久しぶりに 実家に来た娘にかける日本語の使い方が

じゃっかん おかしくないか?