「大丈夫?」に反応するときに 私がすること | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

無意識のストレス反応を意識的に変化させて
気づきと自然治癒力を高め 自分や周りのひとの存在に光をみる人生を楽しんでいます

私が関わっている「仕事」のなかで
「大丈夫?」「できる?」「確認した?」
と 事あるごとに、尋ねる方がいる
 
 
私は 「大丈夫?」と尋ねらると
反射?なのか、
その瞬間、こころと身体がかたくなるのを感じる
身体の中の、血流?だかなんだかの流れがとまり、
脳内フリーズ状態
 
それは 過去の体験からくる、反応なのではないかと想う
 
 
私の父は 私が体調をくずし、学校を休んでいると
仕事先から 電話をしてきて
「どがなや(身体はどんな具合か)??」
と 聞いていた
 
共働きの両親だったので
学校を休んだ私は ひとり、2階で 寝ているのだ
電話は 当時、携帯電話があるわけではなく 子機があるわけではなく
階段を下りて、1階の電話に出なければならない
 
熱があったり、喘息が出ていたり するんだよ?
ふらふらしながら 階段を降りるんだよ?
 
父は ひとりで寝ている娘が 心配だっただけなのかもしれない
・・・おそらく、娘かわいさ なのだろう
(すごくがんばって、そう想うことにしようか?
いや、がんばりたくもないな
実際 そう想おうとする私の眉間には しわがよっている)
 
「どがなや?」
と 聞いてくる父は、
何が したかったのだろうか 
何を 得たかったのだろうか
 
私は 父ではないし、父も 当時の父ではないので
そんなことは 誰にもわからないことかもしれないし
どうでもいいことかもしれないけれど
 
私が あのときの父だとして想像すると
 
ひとりで寝ている娘に異変があったなら
早期に気づき、対応しなければならない
・・・という、(自分が設定している)親の責任を果たしたい
 
仕事先から娘を気遣っていることを 態度で示したい
・・・という、(自分が設定している)親は子どもを想っているアピールをしたい
 
娘から「大丈夫」という答えをもらいたい
・・・自分が 安心したい
 
 
自分が 安心したい
 
責められたくない
・・・「おとうさんは私をを心配してくれなかった」と
 娘から責められるのではないかという不安
・・・体調の悪い娘を ひとり寝かせていることへの罪悪感
 
責任をとれない、とりたくない
・・・不安や罪悪感が創り出す状況への反論の準備
 
 
そんな父の「背景」を感じていたのか、想像したのか
わからないけれど
私は 父の「どがなや??」に嫌悪し、身が固まる(今でも そうだ)
 
 
その記憶が 呼び起こされるのか
「大丈夫?」「できる?」「確認した?」
などの 言葉をかけられると
反射的に
カキン っと こころと身体が こわばってしまう
 
私が 私の「芯」にいたり、問いかけができていれば
「大丈夫」
で 「ある」のだけれど
 
私が 疲弊しているときは
その言葉に 振り回されっぱなしになってしまう
 
そんな状態の自分が
好きなわけではないし、ゆるしたいとも想わない
 
・・・なんだろう?、どうしたいかな
 
 
うん、そうだ
 
 
「私は そんな状態にいるんだね、そんな状態だったんだね」
 
と 自分の状態を ただみる
 
ってことだ