家族に思うこと | 急性前骨髄球性白血病との闘いの記録

急性前骨髄球性白血病との闘いの記録

2011年10月、急性前骨髄球性白血病(APL)を発症。

患者として経験したこと、感じたことを、時系列で記録しています。

入院中の家族のことについて。


私は病気をして家族のありがたみを心底実感した。

APLは重篤なDICを併発するとすぐさま命が危うくなってしまうところが他の白血病と異なり怖いところで、発症時の私はまさにそんな状況に置かれていた。
治療によりなんとか一命は取り留めたものの、以前記録にした通り一時は人工呼吸器を要したし、その間に体力は極端に衰えたため自分では体の向きを変えることすらできず、寝たきりで排泄はベッドの上、もちろん食事もできなかった。そしてこれは精神的な要素があったのだろうと今なら考えられるけど、人工呼吸器から脱した後の1ヶ月は声が出せなかった。
腹痛や発熱など体自体も苦痛が強かったし、精神的にも辛く、だからこのとき母や姉にそばにいてもらえることはとてもとても心強かった。

だけど同時に、家族に負担をかけてることは悲しかった。
一命は取り留めたと言ってもまだまだその後の治療が必要な時期、不安に襲われる毎日で、だけどそんな不安を家族には言えない、言って家族まで心配させてはいけないという思いがあった。
近すぎる人には言えないことがあった。
そういうときには宛先なしのメールに思いを綴った。どこかに吐き出すと楽になれるから。
ネットで仲間に会えたことも、思いを共有できたことで精神的ストレスを軽くしてくれた。


入院中、家族が毎日来てくれたことはとてもありがたかった。
特に私は重症で一人でできないことがありすぎたから、初期は泊まり込んでもらって大いに助かった。
だけど負担をかけてばかりいられないし、実際1ヶ月も経つと発症時に比べれば心もいくらか落ち着いて、むしろ一人で考える時間も欲しいくらいだったから、徐々に面会時間は減らしてもらった。

人によってどれだけ家族にそばにいてほしいかは異なるだろうから一概には言えないけれど、寛解導入がうまくいってひと段落終えられると、心に少し余裕が出るというか、気持ちが前を向くのではないかと思う。私の場合はそうだった。


家族はきっと、病気をしている本人ではないからこそ本人より辛い部分があるだろう。
どう接したらいいか困るかもしれない。
私から家族に願うことは、ただ悲しい顔をしないでほしいということ。
家族が毎日そばにいる、これは理想的かもしれないけど、忙しい現代では難しいかもしれない。だから無理に長時間面会に来なくてもいい。
ただ、悲しい顔はせず、そのときそのときを共有してほしい。


何だかとりとめもなく長くなってしまったけど、私が家族に思うこと、思ったことはこんなところ。

実はある方から家族に関して書いてほしいとメッセージを頂き、今回このような記事を書いてみた。

辛い気持ちは本人も家族もどこかに吐き出した方がいい。
どうかどちらも無理をしませんように。
私のブログが役に立つことがあれば幸いだ。