札幌で受講した 心理講座が終わったあと、

一緒に受講した人と 会食をしました。

その人は もう第一線で活躍していて、自分に投資をして色んな資格を取得しているという話をしてました。

そのうちのひとつ 『レイキ』 と いうもの。

人は誰でも 手を当てて 『手当(痛みを緩和すること?)』ができる。

それを 意識すれば 自由に 『気』を出すようにできる って やり方を 覚えるのだそうな。(合ってるかな?

『気』 ってものの存在は あると思う。
(ただ、『遠隔』ってのが ちょっと解らないが

そしたら、ちょっと手を出してみてって言われてテーブルの上に出したら、
その少し上の空間に手をかざしたら、『何か』が来て ピリピリして 面白かった(*^_^*)
特に集中することもなく、話をしながら ピリピリしてるの。
おお!とか思った。

で、質問してみた。

『気』ってのは、自分の中から出すもの?

私の意識の中では、

自分の中のエネルギーを 手に集中して出すって作業をすると、
エネルギーが 枯渇したりしないのかな?

ってのが 問題だった。

アンパンマンみたいに 頭の部分をちぎって ほら!って差し出すんじゃなくて、

湧き出している清水を手のひらに受けて それを差し出すって感じ。

だから、枯渇なんて しないよ。


おおお!とか思った。

そうなんだ。そうか アンパンマン式ではなかったのね。

例えば、飢え泣いている子供に 自分の頭をちぎって差し出すんじゃなくて、

お米を炊いて おにぎりにして それを手渡すってイメージなのね。

アンパンマンって例えが 理解し易くて よくわかった。


過去において、

私が満たされなかった理由は 私が アンパンマンだったからだった。

私が差し出す愛情は、私自身だった。

与えれば 与える程 私は枯渇していった。

愛情や優しさを与えられても 私は 満(みつる)ことがなかったのは、

それ以上に 私を与えていたからだった。

与えられる以上に 私は私自身を削って 与えていた。


そりゃ~ ザルで愛情を受けるのと同じだわ。
受けるそばから どんどん 無くなっていく。

まずは 『私』 こそを 満足させてあげないといけない

まずは 『私』 こそを 癒してあげないといけない

人の世話が ちゃんとできるのは それから。

じゃないと、息を切らして 中途半端で投げ出すことになっちゃう。

今、セラピストになるべく 勉強をしていて、それで生活するのは 難しいと忠告を受けている。開業して、「やっぱり無理でした」 ってことになると、私を信じてくれた人を 裏切ることになる。
それだけは 何としても避けたい。

体も 心も タフにならなきゃ と思う。
体力をつけて、病気にならない体を作ること。
安定した 精神を作ること。

私の為に。
でも 私だけの為 じゃなく。