突然 言葉が降りてきたので、記事にしました。

 『私』 を 作っているもの by ちっちゃな夏海のお部屋@夏海


私の体を作っているもの が 外的要因で

私の心を作っているもの も 外的要因。

良いものを 取り入れて、

悪いもの を 意識して避けるのって、

『大人』ならば 普通のこと なんだよね。

外から入ってきたもの を 胃袋で消化して 腸で吸収する。
吸収しきれないものは 体外に出す。
毒になるもの には 体が反応してくれて、例えば下痢になったり、熱を出したり吐き気をもよおしたり、アレルギーが出たり蕁麻疹が出たりする。

外から入って来たもの は 脳で消化して 脳が知識や経験をして蓄積・吸収する。
吸収しきれないものは どうしてるかなぁ?
取り敢えず 『置いておく』ってしてたりするかな ^^
毒になるものは、意外に結構素直に体が反応してくれたりするよね?

でね、

ちっちゃい時には 親から与えられたもので体が作られている。
与えられた食べ物を食べてね。

味覚も 親からの影響が大きいけれど、
大人になってからは 自分の意思で自由にできるよね?

親から無理やり食べさせられたもの を 『今』も食べ続けないといけないってルールは ないし、
もう食べるかどうななんて、見張ってもいないし。

それに、無理やり食べさせようとされると、『いや!』って言うよね?
それって、普通だよね?
それに対して 罪悪感なんてないよね?


で、心もおんなじことだと思うの。

子供の頃は 自分の意思だけではどうにかできなかったけれど、

食べ物を 自由に選んで食べることができるように、

外から入ってくるものを 自分の意思で選択しても良い年齢になってると思うの。

それは嫌いだから、もう 食べたくないって言えるように、

自分の意思で 自分の体内に受け入れるか 受け入れないか?と 選択できる。

同じこと なんだよね。

食べることと 心の問題とは。

どっちも 私を作る為に 自分が必要なもの を 自分の意思で取り入れるってことをする。

それは 普通のこと であって、罪悪感を持つことでもない。

そして、食べたいものを食べること は、親とは関係ないんだよね。


私を無視して私をコントロールすること は、

私の無理やり押さえ込んで口を開けさせて、無理やり嫌いな食べ物を突っ込む行為と同じ。


全力で いや って言って良いことなのに、できないのは どうしてなんだろう?

全力で いや って言って良いことなのに、罪悪感を持ってしまうのは どうしてなんだろう?

それさえ 判ってしまったら、問題は意外に簡単に解決してしまうのかもね(*^_^*)