先祖のお墓参りに行った

実家は電車で40分くらいのところなので行こうと思えばいつでも行ける距離だけどめったに行かない

親というのは普段子供の心には浮かばないものなのだと思う

何分日々の生活に追われているせいなので、これはもちろん責任逃れの言葉なのだけど

久しぶりに両親とごはんを食べに行くと色々なことが目についた


まず、歩くのが遅い

私も歩くのが遅い方だけど、母はその倍くらい遅い。

父も母に合わせているのかどうかわからないけど、半歩ほど早い程度

速度としては一緒。

父と一緒に歩いたのって何年ぶりだったんだろう

もしかしたら10年ぶり以上かも


母は年よりも老けて見える

腰が曲がってしまったせいもあるがどうにも老けている

歯も総入れ歯だ

計算したら56くらいで総入れ歯にしている

今だったらインプラントがあるし、歯を失わない治療もできたはずなのに

入れ歯も作って20年近くたっているから歯茎にあわなくなってきているようだ

だからきゅうりも食べられないそうだ

不憫だ


父は昔からそうだがあまり表情がない

うれしいのかうれしくないのかわからない

それでも、お酒を飲むと多少陽気になる

概して年をとると表情は乏しくなるように思う

子供はよく笑いよく泣く

大人になるとそんなに泣かなくなる

老人になるとそんなに笑わなくもなるんだな

振り子が止まるようだ


そして母はトイレが近い

ありえないくらい近い

40分に一度は行ってるのではないだろうか

そしてトイレの時間が長い

あれは頻尿っていうやつだと思う

ある種病気だ

今度薬を買って行ってあげよう


父と母をくらべると父のほうが若く見える

実際2歳若いがそんなものではないと思う

父は老眼もなく今も新聞を老眼鏡なしで読む

母は老眼がひどい

これは体質にもよるがすべては歯からくるのではないかと思った

それまでの母は美しいとは言えないまでも汚くはなかった

それがこの後の変化は目を覆うほどだ

齢70を過ぎればいたしかたないとも思うが

いや思いたいが悲しいかな多少の個人差の範囲を差し引いてもやはり老けている。

且つ汚くなっている

60歳の時には75歳に見えた

私の祖母と間違われたこともあった

それもこれも『歯』から来るのではないだろうか

もし自分が歯をうしなったらきっと女としての自信も失くしてしまう

お化粧しても自信も持てず自分の顔を鏡でみることもなくなってしまうだろう

人に見られている意識が姿勢を保たせる

その意識すらなくなったらやはり腰が曲がっても気にしなくなるだろう

筋肉は衰えそのことにも意識しなくなるのだろう


私はその頃家庭不和で悩んで自分のことで精いっぱいだったので母を顧みてあげる余裕もなかった

たまに帰っては母のだらしなさを責めた

自分が女でいることが精いっぱいだった

母は私の反面教師だった

私は母のようにならないことを励みに幼少期から努力してきた

幸いにも私は母のようにはならずずっと女でいた

それが過度であったことはいうまでもないが

そしてそれが心の隙間になり闇を作っていったのではあるが

母は早々に女であることをリタイアした

私はそれが許せなかった

おしゃれでこぎれいにしているお母さんをもっている友達を羨んだ

聡明なよそのお母さんにあこがれた

だから私は母をののしり続けた

そして目をそむけた

ある時子育てを通して、自分と娘の人生を混同してはいけないと学んだ

こうなって欲しいという押し付けはよくないと学んだ

そして、私は母に娘としての要求を突き続けて母を苦しめていることを悟った

娘に尊敬されない母はどんなにつらかっただろう

でも、すぐには母を受け入れられなかった

だからとりあえず母を否定することだけをやめた

心が軽くなった

母の話は非常につまらない

目の前にあるものと孫の話、父への愚痴だけだ

書物のはなし政治の話倫理観の話などは皆無だ

とんちんかんな返事も少なくない

もちろん父の話も面白くない

思想とかはないのかもしれない


しかし、今日二人の最大の美点がわかった

二人は人を責めることはあっても変えようとはしないのだ

思うと思わざるとによらずすべてを受け入れているのだ

歩くスピードも、トイレを気遣う気持ちも50年の生活の積み重ねで自然に身についたのだ

そこに壮大な愛とか思いやりが含まれているのかどうかは考えてもみないだろう

実際私にもわからない

しかし、白髪になっても腰がまがっても総入れ歯になってもそれでも一緒にいられるというのは何ともうらやましいことだと思った

頑張らなくても自分を変えなくてもお互いがさほどの意識もなく一緒に居られるそれだけで貴いのだろう

その一点をもってして十分尊敬できることなのではないだろうか


私の歴史は人を変えよう自分を変えようと苦悩する歴史だったと思う

今は自分を受け入れ他人を受け入れ、受け入れられないまでも批判しないように生きていきたいと思う

そして今日私に繋げてくれた両親を含むご先祖様に最大の感謝を込めたいと思う

もちろん苦悩した時代の私にも感謝を述べたいと思う

そんな私のそばにいてくれる家族友人にも心からの感謝を述べたいと思う

すべての出来事の積み重ねが今の私の人格になっているのだから過去のうれしかった出来事、悲しかった出来事、悔しかった出来事それに携わってくれた多くの友人知人にも最大限の愛を送りたいと思う

自分を労り慈しみ生きていきたいと思う

そしていつか、ただそこにいるような空気のような人と心おだやかに共に白髪になりたいと思った