子どものころ、浪江町の請戸(うけど)にある
親同士が友人のでお味噌屋さんのおうちによく遊びにいきました。

浪江町内でも学区が違っていましたが
子ども同士が同い年だったので、
わたしと妹は、よく遊びに行ってお世話になっていました。
一緒に勉強したり、ピアノを弾いたり、絵を描いたり、剣道やったり…。

海からいくらも離れていない場所で
夏は海水浴にもいきました。
海水浴の後は、水着のまま帰ってきてお風呂場に直行!


ご家族もみんなとてもやさしくて
おじいちゃんは、庭先で魚などをバーベキューしてごちそうしてくれたり
おばあちゃんは、子どもたちがきまぐれで採ってきたワカメを
茹でて食べさせてくれたり。
たくさんかわいがっていただきました。

3.11の大震災で、そのご家族の家は津波に流されました。
そして原発事故。
福島第一原発から10キロ以内にあるその地域は
もう簡単には近づけない場所になってしまいました。

震災後の請戸の様子。
もうーすさんという方がアメブロで書いているブログをご覧ください。
様子を画像で見ることができます。
『浪江町 請戸』
http://ameblo.jp/uchino-toramaru/entry-10965254906.html

爆発の後、きちんとした理由も聞かされずに避難させられたせいで
助けることができた命も救いにいくことができなかった。
聞いた話によると、

津波のあと、生き残っていた人たちがクラクションを鳴らしたり声を上げたりして
助けを求めていたそうです。

翌日救助にくるつもりでその場を離れた人たちは
東電や県などから理由もきちんと説明されないまま避難命令が出て
救出に戻ることはできませんでした。

助けられる命があったのに…。
そのことを思うと本当に申し訳ない気持ちで
いっぱいになります。ごめんなさい。


行方不明者の捜索が再開されたのは
それからずっと後のこと。

少々被曝してでも助けにいけばよかったと
助けにいけなかった自身を責めている人たちもいます。

原発事故は、たくさんの人々から
多くの大切なものたちを奪うだけでなく

ものすごく深い傷も負わせています。
そして、今も傷口に塩をぬり続けているのです。