ちなみに、明治28年に京都で開催された第四回内国勧業博覧会でしたが、第五回内国勧業博覧会は明治36年に大阪で開催されます。


当時は日清戦争(明治27-28年)後の好景気や鉄道網の全国整備により集客が大いに期待されました。会期は明治36年3月1日~7月31日の153日間で、会場は大阪市天王寺今宮に約10万坪が整備されました。その結果、入場者数は435万人という規模の大きな内国勧業博覧会となりました。

△石版画 大阪名所 第五回内国勧業博覧会の全景図(明治36年刊、版元:田井久之助)

 

博覧会には、農業館、林業館、水産館、工業館、機械館、教育館、美術館、通運館、動物館のほか、台湾館、参考館を配置。イルミネーションが取り付けられ、大噴水も5色の照明でライトアップされ、エレベーター付きの高塔も人気を呼びます。池のほとりにはウォーターシュート、メリーゴーラウンド、パノラマ館、不思議館など、遊具・娯楽施設も配置されました。夜間にはイルミネーションや余興目当てに来場し、入場者は内国勧業博覧会始まって以来の数を記録しました。

 

こうして、全国から博覧会来場者を迎えるため、東海道線の梅田停車場(JR大阪駅)が建て替えられたり、道路の整備、大阪市電の整備など市内のインフラ整備が進められます。大人気の第五回内国勧業博覧会でしたから、大阪の印刷屋からは大変多くの明治名所石版画を発行・販売しています。版元では「中井徳次郎」や「田井久之助」などが活躍しました。

△石版図 大阪名所 梅田停車場の図(明治36年刊、版元:田井久之助)


 ちなみに、梅田停車場は、明治7年5月11日、大阪~神戸間の開通に伴い開業します。現在のJR大阪駅ですが、当時は「梅田停車場」とか「梅田ステンション」と呼ばれました。当初、街中心部に近い堂島に計画されましたが、「火の車が通ると火事になる」と反対され、当時街外れであった梅田に設置されることとなります。絵図は二代目駅舎の姿です明治34年築のゴシック風石造りで、明治36年の明治政府主催「内国勧業博覧会」に向けて、建替えが進められました。図像を見ると、駅構内から蒸気機関車の煙が出ているのがわかります。いいね。


博覧会開催は、大阪市に莫大な経済効果をもたらしましたが、博覧会開催の翌年の明治37年に起った日露戦争後、政府は財政難に陥り、ついに第六回の計画はなくなってしまいます。その後、国家的博覧会の日本での実現は、戦後、1970年の大阪万博まで待つこととなりました。



さて、来年2025年4月13日に開幕する「大阪・関西万博」。テーマは、いのち輝く未来社会のデザインとされていますが、どんな万博になりましょうか。期待しましょう。


 

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