普段生活していて、本当に何気なく日々を送っていて、気にも止めないこと。

「自分自身が身につけている刷り込み」の問題。

刷り込みというと、大戦時代の天皇制の問題などが想起され、今日ではあまり良い印象を持たれないが、それはいついかなる時代においても生きていく上で誰もが持ち合わせているものである。

そうでないと、社会は成立しえない。


しかし、その社会自体を客観視する際に、この刷り込みの内在が邪魔をして、社会システムに導入されてしまう。

それだけ巧妙で複雑な社会システムに成長しているということだ。


例えば私達がほぼ共通して持ち合わせている価値観。

共通では無いにしても、悪い印象は与えない価値観。

自己責任論、個人化の傾向、右翼や左翼等との隔たり、平和主義


これらは全て、現代の資本主義社会が私達に与えている刷り込みである。

決して普遍的なものでも、本質的に正しいものでも無く、社会の創出した概念と考えてよいであろう。


そして刷り込みを受けている当の大衆は普通、それに気がつかずに、大抵は流れに任せてシステムに導入されてゆく。

一人一人が逐一社会に懐疑を抱き、時には革命を企てる、自分の帰属しているはずの社会に興味関心を抱く、そういう時代では無い。

従ってシステムは硬直する。