ビジネスや人生が上手くいく法則について書かれているが、こういった自己啓発的な本を読んで一時影響を受けることもあるが、どうせそのうち忘れてしまうので結局は何も変わらない。
時間の無駄のように思えるけど、たとえ身になってなくても本を読んだという事実は残っている。
ただ、自分にはとてもサイゼリヤの会長が他人には思えない。
そのぐらいのシンパシーがある。関係のない話だが、たまに「格闘技をやってたから誰かに絡まれても簡単にやっつけれるでしょ?」とか言われることがある。
そんな時は「今はなにも練習してないのでやられることもあると思うよ」と答えるようにしている。
自分が弱いとか自信がないとかではなく、続けていないことはできなくなると分かっているから。料理の仕事だってやめたらできなくなるだろうけど、どちらも自転車に乗るぐらいは覚えているだろう。
その程度のことだ。
でも、若い時代に格闘技を必死にやってきたという事実だけは残っている。
適当に読んだ本よりは体に染み付いているのかもしれない。
自分には人に伝えられるような法則や成功体験はないが、10年店をやってきてずっと守ってきたルールがある。
それはたとえ一人もお客さんが来ない日があっても、暇だから来てくれと自分から連絡しないことだ。どんなに仲のいい人であっても、自分の都合で利用することはしたくない。
そういうお店はいくらでもあると思うけど、自分はそれだけはしないと決めている。
店はお客さんを待つことしかできないのだ。
数年前によく来てくれていた80代ぐらいの御夫婦がいた。
まだ汐里が働いていた頃にしらすと青海苔のスパゲッティとマルゲリータのピザを毎回注文していたお客さんで、女房が店で働くようになってからまた来てくれるようになり、食べる量は減っていて前菜の盛り合わせとパスタを二つに分けて召し上がられて、お釣りはいつも置いていってくれた。
運動を兼ねて氷取沢辺りから歩いてきていて、帰りはバスに乗って帰っていると言っていた。コロナが始まったぐらいからは車でテイクアウトを買いに来てくれて、パスタとピザを注文してくれて、当時のピザのケースは丈夫だったので使用済みのケースを綺麗に拭いて再利用されていた。
今でもよく覚えている。昨日、女房がふとそのお客さんの話をした。
最後に買ってくれたテイクアウトを渡した時の背中がなんだか寂しそうだったと言っていた。
自分はもう来てくれることはなかったとしても、時々は思い出してほしいと伝えた。
店は仕事でお客さんは友達じゃないけれど、お客さんはある意味では友達よりも親よりも有り難い。
自分が長い年月をかけて必死に取り組んできたことに、正当な対価を払ってくれているのだから。
そこには求めてくれるお客さんと自分達以外に誰も介入していない純粋な取り引きがある。
大人の純真があるのだ。それが光なのかもしれない。
我々にはただ待つことしかできないけれど、自分の店を好きになって足を運んでくれたことをいつまでも忘れずにいたい。
きっと忘れないと思う。時を越えて時空を越えて、いつかまた食事に来てください。
自分はちゃんと覚えています。