終始片手で顔半分を覆い、
おそらく、太陽ギラギラなビルの谷間に佇む若き宮本さん。
照れ隠しなのか、ちょっとニヤついているのも、若者ぽくて良き。
『太陽ギラギラ』の歌詞って、
ビルの谷間で首をうなだれるナミダ顔の男と、
それをはたから見ているもう一人の男、、
…の二人がいるようで、
でもきっとその両方が宮本さん本人一人きり。
このMVの右半分顔隠し宮本さんと、左半分顔隠し宮本さんは、そんな涙顔の男と、それを傍観して冷静に見る男の二人分を表してるのかしら、、
なんて勝手に妄想したりして。
そしたら、
YouTubeのコメント欄に気になる言葉を見つけた。
↓
"後に「明日への記憶」のPVでオマージュした名シーン"
…………
「明日への記憶」のPVと云へば、
先日受注生産された「LIVE ARCHIVE 2007-2017」にも入っている、ファンクラブ限定COTTON CLUBでのライブ映像を使ったPVじゃなかったっけ??
COTTON CLUBの映像の狭間に差し込まれる
ストップモーションみたいなカットと、東京の街に佇む宮本さんの映像。
ほんとだ。
顔半分隠し宮本さんがいる。。
そして、あらためて歌詞を聴くと、、
「太陽ギラギラ」と「明日への記憶」、
詩的で抽象的な「太陽ギラギラ」の歌詞の、
注釈のような、口語訳のような。
1988年の「太陽ギラギラ」と2010年の「明日への記憶」
20年以上の年月を経て、根本的に同じことを言っているのかな。
で、
「明日への記憶」リリースの頃の雑誌のインタビューを手繰ってみたら、ほんとに「太陽ギラギラ」のことを語っていて吃驚した。
rockin'on JAPAN 2010.10
"太陽ギラギラ"で《ああ おそらくは 俺は幸せさ》つった、あんときの俺を思い出すんだよなぁ。
(山﨑さん)俺、これ聴いて、それ思い出した。
"太陽ギラギラ"のときの俺との会話と言うかさ、それを今の視点で見てるんだなと思った。
その、いっぱいはできねんだなぁって。さっぱりですよ。ひとことで言うとさっぱりわかんないんですよ。生きてることがね。
(山﨑さん)でも、この歌で歌われてんのは、"太陽ギラギラ"でもっとなんかあるはずだって歌っていたあの俺も、変わってしまった池袋の公共の喫煙所でタバコを吸っている今の俺も、俺なんだって言いたいんじゃない?
ああ、まぁそう言うことですよね。そうそうそう。ホントにその通りなんですよね。ええ、きっと。
音楽と人 2010.10
《太陽ギラギラ》って歌で〈太陽ギラギラビルの谷間 働く人たちせわしげに〉〈あそこを見てみろ一人の男 首をうなだれてナミダ顔〉って唄ってるんだけど、みんな楽しそうに歩いているけど、自分だけぽつんといるニュアンスでものを見ているわけですね。そしてやっぱり俯瞰してる。自分は違うってどこかで思いつつ、もっとすごいことがあるんじゃないかってワクワクしてる。僕は今でもそうだけど、でもそんなにないんだよな。本当は。
ようやく自分ひとりと向き合うと、自分の独り言が聞こえてきて。そしたら自分の感情なんて、そんなに複雑なもんじゃなくて。いつもの生活ですよ。
〈ああ、俺は変わらないな〉と諦めてる段階じゃないような気がしますね。
〈太陽ギラギラ〉を書いた時とちょっと違うのは。あの時はもがいて、どうにかして先に行きたがってたけど、20年の時間が経ったことで、そういうもんなんだって確信してるとは思いますよ。だからちょっと強いかもしれないですね。
こんなに「明日への記憶」のインタビューで「太陽ギラギラ」について語っていたとは、、、
私はいったい何を読んでたんだろう🫠
でもこんなことがあるから、
何年聴いても、何年ファンをしても飽きることがないんだなぁ。
興味の強弱はありますが。。。
災害級の暑さから、
短絡的に「太陽ギラギラ」を聴いたら、
思いがけない私的発見があってなんだか得した気分😆
ところで「明日への記憶」のMV
顔を手で覆うあの演出は誰の提案だったんでしょうねぇ。宮本さんが「太陽ギラギラ」のこと、お話ししたのかな。。。
どこまでも、興味深い。。
あと、
片手で顔を覆う宮本さん、
MV以外でどこかで見覚えがあるなぁ、、思ってて、
探しましたら、見つけました。。
😍😍😍
これは「今宵の月のように」の頃のです。。
ではでは
また
yo*