婆ちゃんが天に
1月16日
息子が朝7時20分に見た時には、息がありました。
もう意識はほとんどなく、目も開くことは無くなっていたのでしたが
「婆ちゃん生きてたよー!」
という報告がありました。
私が行くと息がなかった
息子が出掛けた後、約1時間後に私が行くと、呼吸していませんでした。
まだ生きているように温かい。
心臓マッサージ?と思ったけど、横を向かせて背中を叩きました。
叩いたりさすったり、30分くらいやってたでしょうか。婆ちゃんはピクリとも動きませんでした。
そして私は婆ちゃんの両手を胸で組み、布団を掛け、ゆっくりとミルクティーを飲みました。
考えていた事は、これからの優先順位。
先生に連絡入れる前にエンバーミングしてもらった方がいいんだっけか・・・。
いや連絡する前に、私が綺麗にしてあげたいかな。
そう考えた私は、まずは婆ちゃんの身体をお湯で拭いて、綺麗なパジャマを着せたのでした。
頭、顔、指が冷たくなってきて、首や肩の大きい関節が硬く動きにくくなってきました。
私は遺体を拭くのは初めてで、ちょっとでも力加減を失敗すると
ゴロンと
婆ちゃんの身体は仰向けになりたがり、押さえてあげられませんでした。
そこで
重いな、やっぱ死体なんだわ
と、改めて思ったもんでした。
担当の看護師Aさんは、もう別件で動いていました。留守電にメッセージを吹き込むと、Aさんの代わりに所長が来ました。
(へぇ、これがいつもAさんから悪口聞かされてる所長かぁ)そんな風に思ってましたよ。
所長は、これからAさんが来てエンバーミングをする事、先生が死亡診断をする前なら保険が効く事などの説明をして、着替えの用意をしておく事を私に告げて
「落ち着いて下さいね」
などと私に言って、手を合わせて「南無なんちゃら」と呟き、帰って行きました。
・・・落ち着いてないように見える?
なんて思いながら玄関を送り出します。
到着したAさんはテキパキと私に指示を出し、手際良くエンバーミングを進めていきました。
そして、私に作業を軽く手伝わせて、よく見るように折々言い聞かせながら動いていました。
それはまるで実習のようでした。
Aさんは優秀な講師で、私は勉強熱心な実習生になりました。
しっかりと、でもとても優しく、エンバーミングは終わりました。
彼女は婆ちゃんがクリスチャンである事を知っていたので、手を合わせずにお腹の前で手を組んで、ゆっくりお辞儀をすると小さく
「・・・アーメン」
と言ってくれました。
あ。もう、Aさんに会えない・・・
そう思ったらホロホロホロホロ
涙が溢れ出てきちゃった。
爺ちゃんと婆ちゃん、12年にわたる訪問看護は終了し、しゃくりあげて泣く私をなだめながら、Aさんは帰ってしまいました。
ありがとうございましたAさん。
さて
6日間もお通夜がありました。
私が指定した焼き場が空いていない。
妥協はしたくなかったし、家に遺体があっても私と息子は何とも思いませんでしたので、6日間ゆっくり待ちました。
だからあんまり悲しまないんですよ。
・・・悲しんじゃいけない、ってか
火葬当日、しばらく降っていた冷たい雨は上がって、日の射す温かい小春日和となりました。
私は火葬場は何度も来たけど、息子は初めてだったので、色々勉強させてあげられて、とても良かったと思います。息子も
「沢山スゴい勉強になったよ」
と言ってくれましたしね。
とっても可愛い遺影と共に家に帰って来た婆ちゃんは、セブンのシュークリームとホテルハイアットの一口ホットケーキとピザーラのピザをお供えされて、満足満足、久しぶりにお腹いっぱい食べたことでしょう。
クリスチャンには、四十九日とかありません。
召天記念日といって、亡くなって1ヶ月目に讃美歌を歌ったり集まって食事したりするだけです。
(たまに昇天と書く文章を見ますが、正しくないですよ。意味違っちゃう。召天が正解です)
だから、いつお墓に入れちゃってもいいんですが、爺ちゃんとこに入るんだから、やっぱり50日くらいは自宅に置いといて、それからお寺さんに連絡しようと思います。