今を生きている、ただそれだけ。
LGBTとして生きるには、と考えるよりも先に、どうしたら楽しく過ごせるのか、その問いに夢中になってしまうんですよね。
・クローズドとは、
■自らの性自認・性的指向をクローズドにして生きるべきなのか否か。
クローズドでいる場合には、生きやすさを維持できます。今現在、平穏に過ごしている当事者さん、変化を求めない当事者さんにとっては、公にする必要性など全くありません。周囲のサポートがなくとも、自分らしく生きられる。その一方で、自己の葛藤(※1)とは向き合い続けなくてはいけません。
※1:周囲に自分を偽ることによる抵抗感や不安感が生じることがあります。また、クローズドである以上は、その葛藤が一生涯続きます。さらに、高齢化した際のコミュニティの減少による孤独化も問題視されています。
■自らの性自認・性的指向をオープンにして生きるべきなのか否か。
オープンにした場合には、生きやすさは増すでしょう。セクシャルマイノリティであることを公言することによって、理解ある周囲のヒトは条件反射レベルで何かしらの配慮をしてくれるはずです。そして、予防策(※2)を立てることなく生活できます。自分を偽ることなく、生きられる。その一方で、ステレオタイプに縛られる(※3)ことになるでしょう。
※2:LGBT当事者は、本来の意思とは別に、一般的な回答を用意している場合が多いといわれています。例えば、好きな芸能人を聞かれたとき、好きなタイプを聞かれたとき、異性のパターンを用意していたり。パートナーについて聞かれた場合には架空の人物像を設定していたり。あるいは、同性のパートナーを異性に置き換えて説明していたり、など。
※3:先日ご紹介したように、同性愛であると自認した後に両性愛・全性愛であったと気付くといったケースも多いです。しかしながら、その前に公言してしまうことによって、「同性愛者である自分を生きなくてはいけない」になってしまう可能性があるのです。
■クローズドな自分とオープンな自分の両立。
実際にはどちらも使い分けている(※4)当事者さんが大多数です。しかしながら、オープンな自分が存在する以上は、オープンにならざるを得ないときがくる可能性があることを心に留めておく必要があるでしょう。さらに、オープンな自分とクローズドな自分の乖離に対応しきれなくなるという状態が懸念されています。
※4:職場ではクローズドであるものの、理解ある友人や家族にはオープンである場合や、maaiのように基本的にはクローズドであるものの、LGBTコミュニティ内部ではオープンである場合など、人それぞれです。
では、どちらが良いのでしょうか。
どちらで在りたいのか、
結局はそこなのかもしれません。
そして、オープンであることが決して良いわけではありません。公言できないのではなく、敢えて公言しないことを選択している当事者さんも、たくさん居ます。
クローズドという言葉にネガティブさを感じてしまう日本人は、つい、オープンであることを美徳であると捉えがちです。LGBT当事者の活動家さんたちは、なんだか輝いてみえますよね。しかしながら、オープンにしているから眩しくみえるのでしょうか。
その考え方や生き方が輝いている、
ただそれだけ、かもしれません。
ステレオタイプに縛られることなく、
ぜひ本質に迫ってみてください。
クローゼットは隠しておくことではありません、大切に大切にしまっておくところです。