こんばんわ。今宵も寒いですね。
被災地の皆様も とてもとても寒く、物資が滞る中 心細く不安な日々と想います。
心より お見舞い申し上げておりますとともに、被災でお亡くなりになられた方々の
ご冥福を心よりお祈り申し上げております。
都では 晴れているのに雪がふぶいていたり 桜も咲き始め 不思議な状態でした。
携帯の充電器を忘れてしまい。音信不通でごめんなさい。
被災地への 救済物資などの関係もあり 本日 一旦戻って参りました。
一昨日は、社につくなり 「お散歩してきないさい」と言われ 吹雪の中、すうきろお散歩しながら数時間が過ぎ
愛には やることがあり、出来る限りのことは してきましたが
まだまだ途中なので これまた おでかけはおおくなります。
今回の自動書記にて まだ きちんと現代語に直せてないので、数日時間はかかりそうです。
家族と離れ離れになり 生存確認もできない。 居場所もわからない。
想像を絶する 悲しみがこみあげてくるものです。言葉に表現できないのです。
愛も当事者になりました。未だに、安否確認とれない方もいます。
悲しいし なぜ という気持ちもあり しかし 悲しんでばかりいることはできなく
やることがある自分が これまた心痛く、悲しくもあります。
泣いても泣いても 故人は戻りません。叫んでも叫んでも 肉声は返ってきません。
自分の感情を 消す訓練はできていても 正直、悲しいです。
それでも 舞えといわれれば 舞。言葉を受けなければならない台というのは 辛く。
悲しいのは 自分だけではないとわかっていても 悲しみは 消えません。
なくなった方との対話ができるといいね という人もいますが
これは相当つらいのです。
対話は出来ても もう肉体はないのです。
ですが こんなときでも 愛のご先祖は 厳しく。 愛は 同じ方法で 動かされていました。
ご先祖が ほどこした 結界の中で すごしていたのですが
今は ちがうたてものがあります。
そして 動かされるまま 歩きました。いきました。行いました。
そして帰りにおもった。
言葉は悪いですが、正直に言います。
うさんくさい霊能者まがいが多い世の中で 中途半端な術というものを使い、
その気になり 対話し その人たちは 何をしたいのか?
わからないのであれば わからないままでいいじゃない?想像で対話しないでください。
なぜ あけてあるくのか。 疑問で仕方ありませんが 問うには足りませんので 問いません。
不要なメッセージもいりません。
震災との関係がどうこうの話ではありません。
いいたいのは やらないでください。広めないでください。それだけです。
それに エネルギーだけでどうにかできるものではない。
現実に リアルに 救済が必要なんです。
人と人とが 手を差し伸べて 握り合い また一人 そしてまた一人と 助け合うときなのです。
それは祈りと同じ。
一人の祈りが また一人 二人 三人と・・・多くなり
祈りの大きな 光になります。 それが全ての人ができることです。
救済は プロにしかできないことが多い。募金や支援金もある程度はできるはずです。
現実に受け止めて 考えて欲しい。
救助に向かう人にも 家族がいます。それに人です。
危険を承知で 多くの方を助けたい気持ちで 危険をわかっていながらも活動してるのです。
祈る気持ちで 祈りが届き、無事であることを祈り 活動してるんです。
誰が悪い なにが悪いではなく、災害はおきているのです。
今 できること。すべきこと それがあるのです。
愛のある行動。それが今はすべてだと 愛も想います。
何か出来ることをしたいという気持ちの方も大勢いると想います。
しかしここぞとばかりに 詐欺に働く人もいます。残念な人というよりも
やめてください。そんなこと。
普通に働いてください。目を覚ましてください。それだけです。
帰りの飛行機で 西から羽田への町をみました。
山があり 川があり 海があり 山をきりひらき 海を埋めて柱を立て 人々は住み
生活の便利さの中には 原子炉の怖さがあり
こんなに怖いのであれば 誰も ここまでの便利な世の中のぞまなかったよね
と後悔しても先にたたずで 便利なこともあり それになれてしまい 日本は先進国になった。
しかし 大事なものを忘れていたのです。
地上があり 自然があり 海があり 雲があり 天空があり
人は姿かたちはあるけれど 心までは みれない。
人が形として みれない心を 天は 神はみえるのです。
神様がいるのに たすけてくれない なんて 思うことがおかしなこと
助けてくれないのではなくて 助け合う術を みせてくれてるのです。
敬うことを理解せず、いまあることに 感謝せず
幸せを 幸せだとなれてしまえば また感謝をわすれ
われこそは になる。みえることしか目が行かない。
求める欲求は底知れず。
しかし 災害で また知るのです。命あれば 家族と共に 人と助け合い
普通だと思っていたことが どれほど 普通ではなくて 色々な集大成のひとつであり
全てが幸せなんだと。
理解したつもりは 誰でもできます。しかし心底理解するって 相当なものです。
笑顔ですごせることが どれほどの喜びなのか。
自然の大切さや 自然には かなわないということ。
神は天だけではなく 海にも 山にも どこにでもいるということ。
祈りは通じるということ。それは祈りは愛だからなのです。
賛否両論はあるでしょうが 愛の伝えたいことです。
正直、今回 都に戻り 感じたことは めまぐるしいです。(偽者に対してです)
偽者は消えうせろ といいたい。出来ないのに できるふりはするなともいいたい。
せめて 祝詞を自分の言霊でだせるぐらいになりなさいな
さもなければ いますぐに 考え改め 暮らすことです。
現実に目を向けて 想像の範疇で 事をおこしてほしくない。
正式な方法は 広められてません。
それは もうすでに廃止されてるからです。
わかる方には わかるはずです。
考え改めなおしていただきたい。
そう強く感じました。
地震もまだまだ 静まってないし
原子炉の問題もあります。
皆様、くれぐれも お気をつけて 日々お過ごしくださいませ。
悲しいときは 泣きましょう。 出来ることは状況をみてやりましょう。
そして 祈りましょう。
被災地の皆様が 一日も早く 暖かい暖をとれますように。希望がきえませんように。