病院に行ってきました。
治療を外来でしながらなので、色々と自己管理しつつのご報告&今後の方針確認みたいなのです。
前は、もう母にお任せ。まな板の鯉、好きにしてくれみたいな感じでやって、予期せぬ副作用に泣いて動けなくなってご飯も食べない、オッパと24時間電話繋ぎっぱなしでフニャフニャ言ってたんです。
基本が
なんで私がこんな目に合わなあかん?
でした。
でもね、そうやって生きてもつまんない。
実際のところ、
自分のからだの状態は、自分が一番理解できる。
ってこと。
しんどいときはどこかが悪いだろうし、調子の良いときは動けるだろうし。
他人が見てわかることではない。自分がわかること。どんなにすごいお医者さんでも、本人が言わなきゃわからないことはたくさんある。
病気の治療の基本は、
医師の正しい最新の医療診断を受けて、自分が納得できるまで病気のメカニズムを聞き、治療はエビデンスのハッキリしている標準治療をうけ、
完治に向けて、自分が出来ることは何かを相談する。
それに看護師さんや栄養士さん、理学療法士さんたちの助けが必要な場合はお願いする、自分でもできることはないか?勉強する。
春になってからは、特に、
栄養のことについて、めちゃめちゃ勉強しました。
料理が好きだから興味がないわけではなかったけど、人が生きていく上でとても重要なことであることが良くわかったし、実践していくと身体がどんどん変わるのがわかりました。
専門書は買わなくても、大学図書館にあるから読みに行ったり、栄養士さんが学生の頃の教科書貸してくれたり、助けてもらいました。
そして、運動と休養!!。
私が食べても食べても標準体重に近づけないのは、人間としての生活リズムがめちゃめちゃ。基本動かないから、代謝も悪く、食べても栄養だだ漏れ状態、そして造血時間に寝ないから良い血が作られるわけもなく、いつも青白い顔して目にクマ出来てたり、フラフラしたりもするわけです。
そして美味しいものが大好きで、作るのも好きだけど、
その美味しいものが油だらけだったり、東アジアの人種の体質にはめちゃ負担の輸入小麦だらけだったり、身体を冷やす食べ物だったり、
身体のことを何にも考えない料理は、今の私には通りすぎるだけのものどころか、消化に使う体力だけ消耗してることになるだけでした。
生活を変えて、正しいものを食べて、早く寝て早く起きて、動く。
多少だるくても動いたら気も紛れるし、ずっと寝てるのもまた身体が固まるから良くない。それも分かってるのに行動も出来なくて、病気分かってから、長い期間、いったい私は何をやってたんだか😅。
結局、病気を治すのは自分自身の意思。前はあんなに吐いたりしてご飯も食べられなかったのに、今なんて食べたくて仕方ないわ(笑)。
動き回ってるからお腹がすく。
こんなに研究熱心なのは、
MBTIが、INTPなので、とにかく懲り出すともう!、とことんまでやりたい性格。
それに付き合わされる、病院の方々には申し訳ないですけど、完治までもう少しお付き合いいただきたいです😊。
病気でも、私らしい生活を送ることが一番大事だからと、今日の看護師さんも言ってくれて、寝転がって淘宝ポチポチやるよりも、動いて大丸行って余計なお金使って歩く方がよっぽど楽しいよねー。なんて話をして、笑ってました。
そして、こんな大病しても、結婚してくれたうちのオッパ。
言葉も出来ない国に移住して、仕事して、日韓行き来して、私が不安の無いよう、困らないよう頑張ってくれてます。
最初結婚を止めようと思ったのは、いつまで生きられるかわからないから。他の人よりも早く死ぬ可能性が高いから。病気の人に付き合わせて泣くことが多い人生にさせたくなかったからです。
でも、今は、これから長く一緒にいられる自信も出てきて、今まで良くしてくれた分、良くしてあげたいです。
仕事が終わって、帰ってきてソファーでゴロゴロしながら、今の時間でも寝落ちしてしまうことも多いくらい、一生懸命働いてくれています。また自分のキャリアを上げるための努力も怠らないのには頭が下がります。
もはや決してイケメンでもない、背も高くない、髪の毛も少ないし、服のセンスも最悪だけど、
人の価値はそんなことじゃない。
大事にしてくれるからこそ、この人のために健康になりたいと心から思います。
何が意識を変えたかは、これが一つと言うことはないけれど、いろんな事がヒントになって、自分の置き場が作れた感じです。
なんて書きましたけど、治療はまだまだ続きます。
泣きたくなる日もあるし、怒りたくなる日もあるけれど、引き続き頑張ります。
実は、私には信じてる言葉があって、
昔、九死に一生を得たような経験をしたことがあって、
病棟の看護師さんに
「ラッキーが重なって命を失わなかったんだから、長生きできるよ!。身体大切にするんだよ!」
と言われたことを信じてます。
おっしゃった方はもう覚えていないかも知れないけれど、辛いとき乗り越えられた強い力です。