はつかぜの何も為にならない散文 -3ページ目

なんとなく、自己紹介がてら。自分の年表みたいなのを作ってみたくなったので。

わりかし濃い人生を送ってるような送ってないような感じですので、

お暇なときにでも見ていただければと思います…。

 

2000年3月22日、愛知県にて爆誕。

当初はちょっとぷっくりめの体型だったみたいです。

 

5歳の頃、パソコンに興味を示し、

そしてネットサーフィンをやり始め、

あちこちから知識を吸収するようになりました。

 

小学生時代。

1年の時の担任がヤバい奴で、

自分で勉強したほうが身になると思い、

小学校からの脱走を度々図り、そのたびに超叱られました。

勉強はちゃんとやっていたので、成績は並よりかは上…でした。

この頃までは…。

 

この頃に父親が買ってきたマクロ言語の教本に興味を示し、

意味もわからないままサンプルコードを打ち続けては

キャッキャはしゃいでました。

 

その結果、一般的な大人ぐらいのIT系の知識を

小学生にして持つようになりましたが。

その代わり、普通の勉強ができなくなり、

特に算数(数学)にしわ寄せが行きました。

このあたりから、「パソコンを使って役に立てる」仕事を

したいと思うようになりました。

 

5年の時に「灼眼のシャナ」を見て、

そこからアニメとか観るようになりました。

このあたりから所謂釘宮病とかいうものを

発症したんじゃないですかね…。しらんけど。

 

6年の時に学級崩壊を経験。保健室通いの日々が続きました。

このあたりから、「カウンセラー」という一つの道標を導き出すも、

この時から学力の低下が著しかったのですぐ諦めてしまいました()

 

中学生時代。

部活はパソコン部一択。卓球部にも入ろうと思ったのですが、

部活動見学でいきなり学校周りを3周させられて死にかけたため断念。

 

パソコン部は、タイピングの大会の出場に向けて練習する部活でした。

ということで、この時点ですでに6年近く周りと

アドバンテージが出来ている状態。

すでに先輩を含めた30名近い部員の中でも

トップクラスの実力にまで上り詰めていました。

 

2年の頃。

ついに中学校初のタイピングの全国大会へ出場。東京行きが確定。

しかし、全国の壁は厚く、

本来のパフォーマンスを発揮できずボロ負け。

この頃、すでに高校を情報処理系の勉強ができる所が良いと

進路担当の先生に相談し始めます。

 

3年の頃。

2年連続で全国大会へ。180人ぐらい居て、

確か60位ぐらいまでいけた記憶があります。

運命を感じた高校があり、そこへの進学を決意。

学力的には全く問題がないところだったので、

推薦をもらいそのままがっつく。

 

この時期に、

ニコニコ生放送の企画「オールスター前夜祭」に出場し始めます。

 

高校生時代。

運命を感じた商業高校へ無事進学。

部活は硬式テニスか陸上部かで迷ったけど、

散々迷った末にやっぱりパソコン部。仕方ないよね。

 

部内は女子だらけで、なんか下手なアニメより、

アニメしてるような部活でした。むしろ私が異端児のような扱い。

 

商業高校という学校柄もあり、資格の乱獲に挑戦。

日商簿記3級、全商情報処理1級、ワープロ1級などなど取得。

技術顕彰とかいうやつを受ける。よくわかんない。

 

1年の頃。

部員がやけに少ない状態で、

やはり実力が何故か上の方にいる私ことはつかぜ。

大会に出る人が少ないから、

私が何故か2年の部に挑むことに。なんで?

 

結果、先輩を差し置き校内順位が1位になり、

挙げ句大会の成績も入賞という偉業を達成。

 

その伝説から、全員の一致で部長に就任。でも名ばかり。

部長就任後の新人大会では、

早打ちの部門で愛知県内6位という成績を叩き出す。

 

この頃から、「オールスター前夜祭」の

運営スタッフとして活動することになります。

 

2年の頃。

タイピングの速度がやけに早くなり、

この頃から10分あれば1600文字以上は

平気で打てるようになりました。

私の席からやけに早いタイピングの音が聴こえるみたいです。

 

この頃、Clover Day'sという美少女ゲームの

オープニングムービーを見て、

そこから映像に興味を持ち始めました。

当時は情報学部の人間として生きようと思ったわけですが、

思い立ったが吉日。一気に方針を転換してみました。

親の説得が一番やばかった。

 

3年の頃。

引退試合でミスを連発するという所業をしてしまい、散々な結果に。

推薦をもらい、これまた運命を感じた大学へ合格を決めました。

 

この頃は月1ペースでカラオケに行かないと

禁断症状が出るレベルでカラオケが好きでした。

歌が上手いわけじゃないだけどね。

 

大学時代。

1年の頃。

サークルとかは入らずにのんびり過ごしてたのですが、

超強引な勧誘の末、DTMサークルに入部しました。

ここで映像制作の勉強とかしたり、

曲の歌詞とかも作ったりしました。

 

そこで出会ったのがshunki itoくんと

きざみちくわくんです。

同人サークル「ひとへや」はここから爆誕しました。

 

2年の頃。

CGの授業でメタクソのミチクソにやられて、

だいぶメンタルが終わってました。

この頃から、映像への適性の無さが垣間見えるようになりましたが、

諦めませんでした。跳ね除けてやろうっていう

気持ちのほうが強かったです。

 

3年の頃。

プログラミングの経験があるからという理由だけで、

何故か展覧会に出展する作品としてゲームを作りました。

映像作りたかったのに、作らせてくれませんでした♨

 

まぁ、この経験があるから

今の自分があるんだと思うんだけどね。←

 

4年の頃。

映像への適性より、やはりIT系の適性のほうが強いのではないかと

ゼミの先生と相談し、たしかにそうだと・・・。

当時、映像制作系の企業が全敗だったこともあり、

映像への道を一度諦め、IT系のお仕事をすることにしました。

 

ただ、それを決断するためには相当なメンタルが要りまして、

やべ~説教を受けたりとかされました。

酒は入るわ呑みすぎてぶっ倒れるわで

一番やばい時期だったと思います()

 

今は多少は落ち着いて、

趣味の範囲で創作はやっていくよっていう感じです。そんな感じ。

 

ウム。

ざっと今ん所はこんなかんじです。

普通にこの記事は随時更新していきます。