あけましておめでとうございます。もう松の内を過ぎてしまいましたね(;'∀')

いかがお過ごしでしょうか。

 

私は仕事がお休みでも、毎年、年末年始は忙しく、よく体調を壊していましたが…今年はいろいろありまして…。意外にマイペースに事を進めることができ、比較的体調はいいです♪

(肛門周囲膿瘍になったきっかけも、年末年始の忙しさのせいだし…)

 

 

さて、タイトル通り義母が昨年末に手術をしました。1月8日現在も入院中です。

 

 

義父母は毎年人間ドックに通っているのですが、2年ほど前から左腹部に「しこり」があると指摘されていました。でも経過を見ても大きくなることはなかったので、「様子見」の状態でした。

ところが、去年亡くなったおじの新盆法要を過ぎたあたりから、「左のお腹が変だ」「左の膝が痛い」「めまいがひどい」と訴えるように。いろいろ町医者に診てもらうも、持病の高血圧のせいだとか言われたらしく、薬が増えただけ。。。

 

そんな中、私が肛門周囲膿瘍でちょくちょくTクリニックに行き、「T先生はいいですよ」と言っていたら、義母も行ってみるかということに。やっぱりT先生は名医だなと思うのは、「このしこりは放っておいたら良くないものですよ。すぐ紹介状を書きましょう!」と言い、S医療センター(私には紹介しなかったのに…)の消化器外科の医師に紹介状を書いてもらったこと。

 

しかし…大病院ゆえか、10月終わりに紹介状をもらい受診したものの、初診から検査の日程が合わないとかで、12月24日入院、25日手術と、2ヶ月近く治療を行わず(-_-;)

 

手術当日のクリスマスの朝、HCU前の家族待合で待つこと1時間。

(手術開始は9:00。義父は朝8:30から行き、私は交代のために10:30に行きました。終了予定は4時間後の13:00。)

11:30に看護師から呼び出しが。えっ!まだ手術開始から2時間半しか経ってませんが…。夫は銀行の振込などがあり、外出中。義父も、朝から待機なので病院内の食堂で軽食を取りに行ってしまい、私一人…。

 

夫は電話に出るも、肝心の義父がちっとも電話に出ない。「4時間の予定が2時間半で呼び出しって、絶対何か良くないことがあって、同意を求められるパターンに決まってる!どうしよう!」とひとり勝手にパニクってわたわたする私。再び夫に電話し、私が手術待合所に先に行って待ってるから、義父に電話しつづけてほしいとお願いし、手術待合所へ。「荷物は最小限にしてください!」と看護師に怒られ、しぶしぶ義母の携帯と、私の荷物だけ持ち、HCU家族待合所にほかの荷物を置き去りに。一般の人もウロついてるのにヤダなぁ。。。

 

 「ここでお待ちください」と手術待合所に座らされ、まったく呼ばれずドキドキしていると、やっと夫から連絡をもらった義父が駆け込んできた。ホッ。。。義父が来てすぐ呼び出しが。手術着姿の執刀医が、マスクのまま説明。といっても淡々と5分くらい。執刀医の手には、ガーゼに包まれた球状のナゾのものが乗った、ステンレスのバット。

 

  ≪イメージ図≫

※マウス画なので、下手なのはご容赦ください。。。

 

ほほほ本当に、こんな風にキレイに丸くてツルッとした卵のようなものでした!

表面には毛細血管らしきものがピキピキとまとわりついていました。

直径10cmほど。テニスボールより、やや大きい…かな?

このタマゴ(じゃないけど)の中身は、ほぼ水だそう。

これから細胞診に回すのですが、年末年始を挟むので、3週間はかかるという。執刀医いわく「まぁおそらく悪性ではないと思いますが」と、ここでも淡々。「じゃこれで」と部屋から出ようと立ち上がる医師。私がとっさに「えっと、手術はもう終わりってことですか?」と引き留める。

 

あからさまに面倒くさそうに「…いま内臓をつないだところで、(手術のために取り出した)内臓を体内に戻しています。このあと皮膚の縫合ですね」と。

 

「麻酔はどれくらいで醒めるんですか?今日は目覚めますか?」と聞くと、

「(小馬鹿にしたように)麻酔から醒めらかしてから手術室を出ますんで。」と。

嫌な気分になりながらも、私は食い下がる。

「どれくらいの時間ですか?」と聞くと、

「(はっきりした時間までは分かるわけないだろ的に)…3~40分後くらいですね。」

 

“もういいかな、俺忙しいんだよね”と言わんばかりに

「これで良いですか。では」と足早に部屋を出ていく医師。

 

感じわるっっっ!!!

 

モヤモヤする私とは裏腹に、4時間と言われていた手術が3時間で終わることに感激?していた義父は、「いやーさすがだなぁ~。上手なんだねぇ~。」と漏らす。うーん…。

 

手術待合を出ると、外出していた夫がHCU待合に居ました。

執刀医の話や、例の“タマゴ”の説明。ひと段落し、私と夫は昼食をとりに病院内の食堂へ。

戻ってきたあたりの12:30ごろ、再び呼び出しが。こんどは手術待合ではなく、HCUの扉の中へ。

 

完全に個室で、壁も床も天井も真っ白、正面だけ一面ガラス張りの部屋。ガラスの向こうに看護師が数人、モニターやノートPCとにらめっこしたり、談笑したりしている。

無音で、義母に付けられた生体モニターの「プップップッ…」という音、

点滴の機械?から「ジ~ッジジ…」とデータを取る作動音だけが聞こえるだけの部屋…。

麻酔で朦朧としていないと、ちょっとメンタル的にヤダなぁ…と思ってしまった。クラシックとか流しちゃダメなのかしら…。

 

義母は医師の言う通り、麻酔から醒まされていて、うっすらと会話ができました。あまり長居をすると疲れてしまうので、うまくいったよ!ゆっくり休んで!と声を掛けて、病室を出ました。

 

「いやー、正直どうなることかと思ったけど、うまくいってよかったなー」と義父。

私たちは、麻酔の副作用や、摘出した腫瘍の組織検査の結果がどうしても気になって、あまり素直にワーイとは喜べず…。それでも、全身麻酔からちゃんと目覚めて会話ができるのだから、とりあえず一安心ということで、不安は忘れようということに。

 

入院期間は、7日~10日ということで、お正月は病院で迎えることになった義母。

退院したら、ちゃんとお祝いしようね!と帰路につく。

 

 

ところが。。。やっぱり一筋縄ではいかなかった…。

 

 

つづく。