私は、母の臨終の報せを受けても、自営をしている店に予約が入っている限り、自己都合ですぐには駆けつけられません。飛んでいきたい気持ちをこらえ、涙を流しながら店のスタンバイをしました。

 

しかし幸い、この日の予約は割と早めの時間に1件のみで、しかも珍しく早くお帰りになったので、ありがたかったです。急いで片づけをし、帰宅してから適当に着替え、新幹線の最終便に乗ることができました。

 

その間、母の臨終に居合わせた妹と叔母と牧師先生は、母の葬儀の段取りを決めてくれていました。父は1年前に離婚しているので、喪主は私か妹。私は、距離や時間などで不可能なので辞退し、妹が喪主という大役を務めることになりました。妹は、30歳を超えても少し幼いところがあるので、妹自身もかなり不安がっていましたが、私も協力し、支えるから、ということで引き受けてくれました。

 

母が亡くなったのは年明けすぐの1月4日。

私たちの生まれ育った街の公営火葬場は、年末年始の火葬が多すぎて順番待ち。

10日なら空く、ということで、約一週間後の10日に告別式と火葬、9日に前夜式という、仏教で言う通夜が執り行われると決まりました。真冬でよかったです。

 

私は知らなかったのですが、病院で臨終した際、遺体は長くて半日くらいしか安置させてもらえず、死亡診断書が出たら、すみやかに自宅か葬儀社の安置所などに移動しなければいけないそうです。

 

母の遺体は、火葬まで一週間近くあるので、JR小岩駅近くの葬儀社の冷蔵安置室に置かせてもらえることになりました。

 

新幹線に乗る前に、妹から連絡が。父にも知らせたいと。。。

なんとなく、父と会わせると、母が汚れてしまうような気がして嫌だったのですが、母は最期まで父を愛していたので、最後に4人で会おうよ、という妹の提案に、しぶしぶ承知しました。

 

悲しみと複雑さと緊張といった複雑な感情を抱えながら、私は新幹線の中で揺られていました。

 

 

つづきます。