この記事は、2015年1月24日に書いています。。。

母の乳がん発覚から手術、妹の挙式、年末調整等で わちゃわちゃしていて、
ゆっくり書くことができませんでした。

先日、自身のアメブロを見返してみたら、
「母の乳がんと糖尿病」の「テーマ」の最初の記事が、
この記事(11月8日の自身の記事)で、
突拍子なさすぎて我ながら吹いてしまった。

なので、いまさら思い出して書いてみます。



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つい2~3日前は父の誕生日で、妹も交えてお祝いメールを交わしていた。

ところが10月24日、父からこんなメールが突然来た。

結婚式を目前に控えている妹、私、
母の両親である私の祖父母の
計4人に一括送付された。


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突然ですが、妻は×××(妹の名)の結婚式に出席出来なくなりました。

二週間程前、毎週土曜日に通っている、デイケアのシャワー浴で、
左胸のシコリがあるとの報告がありました。

翌週木曜日の訪問看護では、
左鎖骨12㎝程から下に10㎝、幅7㎝の瘤状の大きさになっていました。
×××(とある商業施設)9FにあるメディカルプラザてCTをとり、
診断の結果、早急に大きな病院での受診の指示を受けました。

今週の月曜日、×××病院の外科初診受付日に、
組織検査の検体採取、血液検査を受けました。

本日にスケジュールされたCTと診断の結果、
手術受け、異物を除去する事としました。

組織検査の結果がまだあがって来ない為、異物が良性か否かは不明です。
しかしながら、異物は日に日に大きくなっております。
施術日は未定です。

しかしながら、手術を実施すると、
回復が×××(妹の名)の結婚式に間に合わない可能性は小さくないと考えます。

非常に無念です。
詳細がわかり次第、逐次ご連絡致します。


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とりあえず、目が点だった。

ここ2年、私たち姉妹は、この両親に振り回されっぱなしだった。
正直「またかよ!!」と思った。



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さかのぼること、おととし(2013年)の10月の終わりごろ。
父が救急搬送されたと、妹から電話があった。

かつてはヘビースモーカーだった父。
10年ほど前から禁煙し、今は吸っていないが、
ある日軽い風邪をひき、肺炎になり、みるみる重症化した。

最近ひんぱんに西田敏行さんがCMをしているアレである。

おととしのことだからウロ覚えすぎるのだが、
とりあえず「慢性閉塞性肺疾患(COPD)」と診断された。
本来、「動脈血酸素飽和度」とやらが90%でも重症なのに、
父が搬送されたときは、70%まで低下しており、
チアノーゼを起こしかけ、脳や内臓に酸素が行き届いていない状態だった。

駆け付けた妹と祖母の同意のもと、
成功率に賭け、大動脈にカテーテルを挿入し、
薬剤や酸素を送り込むことに。

私が長野から駆け付けたのは翌日。
ICUに足を踏み入れたのは、
20年ほど前、祖母のくも膜下出血の時以来だった。

父が世話になっているのは、
市川の湾岸の救急専門の医療センターで、
かつてはドラマの撮影にも使われていたらしく、
照明は明るく、他の患者さんもたくさん居り、スタッフも多く、最新鋭の施設。
祖母のときの、暗くて人気(ひとけ)のないICUの記憶とのギャップが激しかった。

たくさんの管と、機械が父につながれていた。
でも意識はあり、筆談ができた。
(口には大きな管が挿入されているので、しゃべれない)

父が筆談で興奮するたびに、
モニターの上のランプが赤く点滅し警告音が鳴るので、
「あわてなくていいから、興奮しないであせる
と、こっちがハラハラ。

警告音を聞いて様子を見に来る医師
(…か看護師。みな手術着を着てるので見分けがつかない)
は、慣れているようで、
「ハイハイ」という感じで解除ボタンらしきものを押して去っていく。

その後は、3日後にはHCUに移動し、翌日には一般病棟。
この施設は救急専門なので、一般病棟に移ったら、
早めにベッドを空けなければいけないらしく、
救急搬送から約2週間で退院。

とりあえず、ひと段落し、ほっとした我々姉妹。



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だが それが、ここ数年の苦悩の始まりだった。



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