NIPT
新型出生前診断 を受けようと思ったきっかけ。
※この検査自体やそのあとの個人の選択に反対の方、は読まないでください。
1人目のときは、この検査はまだメジャーではなくて、クアトロ検査を受けるかどうか、
夫婦で話し合いをしました。
でもそのときは、「体外受精でやっとやっと授かった子供を、今度は出生前診断で判断する」
という行為が命のやりとりをしているように感じて、そんなことをしたら神様の罰があたる、
そんなことをしてはいけない、、それにこの子を諦めるなんて絶対出来ない、と泣きながら
主張して、結局検査はしなかった。
ただ、生まれるまで、生まれてからも数日は不安があったのは事実です。
生まれてから数日は体の隅々まで確認したり、音や光の反応を確かめたり。
勿論嬉しい気持ちのほうが勝っていましたけど。
そして、1人目が可愛くて可愛くてこりゃ2人目も欲しい、、と思ったころから、NIPTについての
ニュースが目につくように。
そんなときに、親友が3人目を出産。その子が障がいを持っていました。
その子はとってもとっても可愛くて。私が抱っこしたにニコニコして。。
それでも親友は本当に辛そうでした。憔悴した様子で、泣きながら、私に言いました。
「姑がこの子はお宮参りもお食い初めもしなくていいって」
「なんで出産前に検査しなかったんだって責められて」
「妹の結婚に差し障りがあるかも、って母にポロッと言われた」
「三人目なんて贅沢だったのかも。二人が良かったのかも」
「上の二人は幸せになれる?」
「わたし幸せそうに見える?」
「わたし幸せなのかな」
なんと言ったらいいかわからなくて。私の前で見せる顔がこれならば、家ではどんなに辛いだろうか。
それとも、旦那様や子供たちの前では言えないのかな。私だから本音を話しているのかな。
ただ、ただ、黙って聞くだけしか出来なかった。
それは、わたしが本やテレビで知っている障がい児の母の姿とはおよそかけ離れたものでした。
きっと本やテレビでは、このような苦労や困難を乗り越えて、その先の境地に達した人達の姿を映しているのでしょう。
それは勿論母として、人間として、こんな言葉じゃ軽いだけれど、本当に美しく崇高で立派な姿です。素晴らしいと心から思う。
そして、当然、苦労や困難だけじゃない。喜びや感動もあるでしょう。
でも、でも、やっぱりそのはかりしれない苦労や困難について私は知らな過ぎた。バカな人間でした。現実を見せられて、衝撃でした。
そして今目の前にいる息子のことを考えました。可愛い可愛い私の息子。勿論お腹の子だって可愛い。とっても可愛い。
私たちが死んだら?そのあと二人は?体外受精してやっと妊娠したのに?どうして二人目が欲しいの?
ずっとずっと考えて、考えて。そしてわたしは今回NIPTを受けることを決めました。
夫は、「母親がある君が決めたことなら」「ただし、陽性だった場合は諦めよう」「命の選択と言われても仕方ない」とのこと。
「母親である君が決めたことなら」という言葉がずるいよね。本当にずるい。でも確かに母はわたしだ。
いざというときには一人で二人の子を育てるんだ。
※離婚する気はありませんが、夫が単身赴任でいないこともあり、子育てにおいては全く戦力にならないので、最近はシングルマザーの
気持ちで頑張っているわたしです。勿論本当にシングルの方の大変さには比べようもありませんが。。
でも私は諦めようとは思っていません。まだわからないけど、準備をして産むという選択肢だってあると思っています。
生まれてから準備をするのと、生まれる前から準備をするのとでは、精神的に違うと思う。たった数ヶ月でも覚悟を決めて産むほうがいい。
ただし、ここは夫と平行線です。
まだ検査までには時間があるので、そこも考えたいと思っています。