という本を初めて読んだのは丁度十年ぐらい前、23-4位のときだったと思う。
その時の感想と言ったら、
なんじゃこりゃ?
ってな感じだった。
ミョーにバタ臭い、つーか。
Sexってそんなに凝った事までしなきゃいけないのか、
ってカンジで。
よく思い出してみると。
当時の私は今だから言えるけど、仕事を精神的病になってやめて
とにかく悲観しながら、それでも人生への焦りは止まらず、
それを打ち消すが為ばかりに、
誰かを探して愛される事に燃えていた。
今思えば、
下駄を半分だけ“引っ掛けて”それでも徒競走には参加しなきゃ!
のごとく。
すったもんだの挙句、ようやく“ホレタハレタ”の中になったような人が出来て。
ちょっとPlayを楽しんでいたつもりだったけれど、
そんな当時の私にさえもジョアンナはちょっと
Too muchだった。
ちょっともともと当時の日本人のSexカルチャーの感覚には
合わない物があったのかもね。
今にして思うと、当時のSexは“Sex”の域を越える事は決してなく、
何か、
自己表現のような、それでいて自己主張のような。
半分スポーツでもあり、半分献身という名の捧げモノのような錯覚も。
そんな感覚は最初の結婚生活の中にまで居座り続いた。
+結婚生活のSexというものも、一つ歯車が狂うと、
トンでもない悪夢となるという経験も、
既にしてしまったわけで。
ーで、今。
私の2006年のジョアンナの愛し方は、
・・・・・イマイチ詰めが、甘い。
コンセプトは間違っていない。
しかし、私は
もう一つ上の、もっと奥の秘密が知りたいのだ。
何か、受験英語をやりたいのに、高1の基礎英語のテキストをつかんだような。
(あえて中学とは言わない。実践に使えそうなのもあったから。)
しかし、当時二十台前半の頃よりも数倍、心身ともに健康、
女性としても十分に機能している事がなによりも嬉しく。
いささか最近ちょっとご無沙汰していた
“Lisaジョアンナ”に豹変する“機会”作りに手を焼いてはいるものの。
ーでも。
ジョアンナよ、あの事は知らないらしいな。
ふっ、ふっ、ふっ。
私だけが知っている秘密の魔法を、マイベイビーにかける日が、
早く来ますよーに。
私の、私だけが知っている、私による
Making love。
近日公開。
か?