日本人はいつから切り離し排除するようになったのか? | BossaとコーギーときどきSophiaな生き方。

日本人はいつから切り離し排除するようになったのか?

ひさびさに心理ネタ。




NHKBSの「山田洋次監督が選ぶ100本の映画」(だっけ?)という特集が


主に日曜の夜に放映されている。




昨日は、「本日休診」だった。


本日休診 [DVD]/柳永二郎,鶴田浩二,三國連太郎



¥2,800

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戦後すぐの話で、私の好きなジャンルである。




で、このなかで三国連太郎が、いまでいうPTSDで精神障害がある状態なのだが、


近所の人の対応がとてもいいということに気がつき


昔の日本はこういう風に、人を排除せずに共生していたんだなということを感じて、


しみじみと本当の「治療」とはなにか?を考えた。




祖父母や両親から結構戦争帰りで、酒浸りになったり、働くなった人が結構いたというのは聴いていた。


(カーネーションの勘助みたいな人も)


彼らは、薬だの治療だのはせず放っておかれた(戦争で頭がおかしくなったんだと)。


でも、社会の中でゆっくりとホールドされながら、適応していったのだ。


三国連太郎の役は、通る人通る人に軍隊式の説教をしてまわったり、


屋根の上で演説したりする。


木の下に変な格好で居たりする。




それを、就寝ラッパのマネをして家へ帰したり、


説教をし始めた時に、医者は「お前はこの木でいつものように寝ていろ!これは命令だ!」といって


実に上手く御している。




戦争のせいだという理解もあっただろうし、医者は息子を戦争で亡くしているから


自分の息子に接するようにしかもユーモアたっぷりに対応している。




こういう対応っていうのは、誰に教えられるものでもなく、人間関係のなかで


育っていく。




「精神分析」「診断」なんていう、アメリカ式の人を切り刻むやりかたが入ってきてから


日本ではこういう対応はできなくなった。




とくに一般の人は「なんか気持ち悪い」とか


「変!」とか同じ人間なんだという視点がない人がスタンダードになってしまった。




もちろん、昔も偏見はあったし、絶対良いとも思えないけど。




現代は人に対する理解が学べない世の中なのかもしれない。


とつらつらと障子につぎはぎのある昔の家を見ながら思った。




つぎはぎができる人が少なくなったのか・・・?