1950年のLa Stampaに掲載された、名馬Nearcoと厩務員Marcelloとの友情物語をだったら良いな~で訳してみました。戦争で隔てられた友情、そしてサラブレッド、馬という生物の未知の能力にも触れる物語です。

 

 

1950年5月13日号より

 

 

 

『ネアルコ、危険な瞳を持つ馬』

 

王室の同士の結婚を提案する大使のように、その国史はロンドンからやって来ました。

そして世界を驚かせたサラブレッドを英国陛下の厩舎に迎えたいと申し出ました。

 

ローマ、五月。

ドルメロ・オルジアータ牧場では、毎年サラブレッドの出産シーズンになると、スクーデリア・テシオ・インチーサ厩舎の厩務員たちが、自分の育成する仔馬を選ぶために集まります。

優れた仔馬を見抜くには、長年の経験、知識が頼りになりますが、何よりも運が重要です。厩務員のマルチェロはフェデリコ・テシオの元、ドルメロ牧場で15年間働いていました。

 

1935年の春。出産は順調に行われていました。

すでに産まれた仔馬たちは母親の足跡をたどって放牧地を不安そうにさまよっています。マルチェロは興奮しながら放牧地に入りました。仔馬を選ぶ瞬間は特別です。厩務員たちは

「私にチャンピオンになる馬をお与えください」と祈ります。

多くの仔馬はチャンピオンになれません。しかし、そんな馬の方が走りそうな空気を纏っている場合があります。

 

ノガラの息子

 

興味をそそられ用心深くマルチェロに会いに来た最初の仔馬は、ノガラの息子のネアルコ(※既に名前が付いていたのかは不明)でした。するとネアルコの姿を見失った母ノガラはネアルコを呼び戻そうと大きな声を上げました。その声が届いたネアルコはマルチェロをじっと見つめると、母の元へと走って戻りました。マルチェロは、ネアルコの鋭く好奇心旺盛な性格を見抜き、まだ幼稚な走りの中に、きびきびとした逞しい太ももに気づきました。マルチェロはネアルコを選びました。

 

ここに素晴らしい友情が生まれました。

マルチェロが腰に右手を当てて輪を作り「ネアルコ」と呼ぶと、ネアルコはその輪の中に鼻面を滑り込ませてピンク色の舌を出します。するとマルチェロはその舌を人差し指と親指で挟みます。これが二人の友情を確かめ合う表現でした。

 

フェデリコ・テシオは早朝、誰もいないサンシーロ競馬場で調教を行います。その中で、1歳になったばかりのネアルコは、サンシーロ競馬場の直線を2歳馬のようなタイムで駆け抜けました。フェデリコ・テシオは、ストップウォッチのタイムをほとんど信じていません。しかし、アペレやフィディアたちが1歳の時、このような走りをしたことはありませんでした。マルチェロはそんなネアルコに誇りに感じました。

 

ネアルコが2歳になった時、テシオはネアルコを試すことにしました。このトライアルは、ドルメロ牧場からの卒業試験であり、テシオ厩舎への入学試験のようなものです。トライアルが行われる冬の朝、マルチェロはブーツでぬかるみを踏みしめ、両手をポケットに入れて、まるで息子の試験に立ち会う父親のように緊張した面持ちでテシオの隣に立っていました。

 

神速の精密機械

 

テシオは、襟元を毛糸のマフラーで包みぼろぼろの帽子を被り両手は英国風のツイードコートのポケットに沈めて、ステッキチェアに座ると、これから訪れるであろう未知の出来事への興奮と不安を抑えきれない表情を浮かべていました。

 

サンシーロ競馬場の向こう正面、バックストレートには、グッベリーニ騎手の騎乗するネアルコと、9戦中7勝を挙げた3歳馬のウルソーネが待機しています。そしてゴールポストの近くには、最優秀短距離馬のビストルフィ(騎手は主戦のグロピーニ?)が待機していました。(ウルソーネもビストルフィもテシオの馬)

 

「我々はここにいよう」とテシオは言いました。マルチェロは何も言わず、固唾を飲みました。スタートが切られ、ネアルコとウルソーネは馬体を合わせながら徐々に加速しました。蹄の音、重い地面を叩く鈍い音が近づいてきます。マルチェロの心臓は激しく太鼓のように脈打ちました。

 

グッベリーニ騎手は1,000mの地点で指示通り手綱を動かし、ネアルコに全速力を指示しました。すると、まるで地獄の底から蘇った獣のようにネアルコは目もくらむような疾走を見せたのです。ウルソーネは数歩で置き去りにされ、ネアルコの跳ね上げた泥を被りました。

 

ネアルコは加速したままゴールポストへと近づきます。そこにはビストルフィが鼻から息を吐き、いら立っていました。テシオはビストルフィに「いけ!」と命令しました。ネアルコがビストルフィに近づいた途端、ムチで気合の入ったビストルフィは身体を屈めて荒々しく飛び出しました。その勢いはマルチェロに一瞬『敗北』を感じさせました。

 

しかしネアルコはビストルフィに闘争心を燃え上がらせ、懸命に首を伸ばし激しく馬体を合わせて抗い、そしてネアルコはビストルフィに追いついたのです。それぞれの騎手たちは声を上げ、さらに馬たちを鼓舞させます。

 

1600m地点。ネアルコとビストルフィの前には、湿ったターフが、めまいがするほどに広がり、神経、腱、筋肉を持った血の通った二頭のマシンが動き続けました。

 

コーナーの外側に2番目のゴールポストがあります。

ネアルコはさらなる魂を解き放ち、まるで今レースが始まったようなエネルギーで再び加速した。2,600m地点でビストルフィに馬体を合わせ2,800mでは優位に立ち、そこからは3,000mのフィニッシュラインに向かってだけ躍動しました。

 

テシオは帽子を被り直して、「ネアルコはその鞍に好きな杯を全部持っている」と言いました。そして「コーヒーを飲みに行こう」と言い残し、ステッキチェアを閉じ、グランドスタンドのバーに向かいました。

(※この調教のエピソードは、石川ワタルさんの本ではパリ大賞典を控えた3歳晩春での話でした。辻褄的にもその方が合うのですが…)

 

その日からネアルコは勝利と勝利の後、マルチェロの愛情深い愛撫しか知りませんでした。

ネアルコのキャリアは、今や世界の競馬史で不朽のものとなっています。

 

ネアルコのキャリアの終わり(1938年春頃)に、ある紳士(マーチン・ベンソンか?)が英国政府からドルメロにやって来ました。彼らはイギリスの国営繁殖場のためにネアルコを求めました。それが大変重要な申出であることは誰の目にも明らかでした。それは、二つの王家が婚姻をもって同盟を結ぶ様に似ています。

 

マルチェロはネアルコに同行してイギリスへ渡ることになりました。そしてマルチェロはネアルコに別れを告げ、ネアルコに最後のキスをし、ネアルコの首に最後の愛情を込めて優しく、二度、三度と手のひらを添えた。それはとても悲しい日でした。再び英仏海峡を渡る前に、マルチェロは深酒に溺れました。

 

憂鬱な記憶

マルチェロとネアルコは、平野、山、川、海によって隔たれました。数ヶ月後、これらの平原、山々、川は軍隊と火を噴き出す機械によって埋め尽くされ、ヨーロッパは沸騰する大釜のようになりました。血の匂いが煙の中に漂っていました。飛行機はヨーロッパの飛行場から出発し、残酷な手段でテムズ川のほとりを爆撃しました。(1940年、バトルオブブリテン )

 

ある日、北イタリアのドルメロ牧場にイギリスの新聞が不思議なルートで届きました。その新聞にはイギリスのブリーダーが作った特別なシェルターから出てくるネアルコの写真がありました。マルチェロはその写真を切り取り、ベッドの上、ドルメロの守護者である聖アンデレの絵の隣にピンで留めました。

 

 

戦争も終わり(1949年頃?)、テシオの厩舎とイギリスのブリーダーはサラブレッドの繁殖行為と商業関係を再開しました。そして、マルチェロは繁殖の為の牝馬に同行してニューマーケットに行く任務を与えられました。マルチェロはできるだけ早く用事を済ませてバスに飛び乗ると、空襲を逃れて9年間、ネアルコが君臨している国営の牧場に向かいました。

 

驚異の記憶力

 

牧場の厳格なイギリス人職員は、マルチェロに種牡馬の放牧地に入らないように忠告しました。そして「残念ですが、ネアルコは貴方を覚えていないでしょう」と言いました。さらに「この10年で、ネアルコは手に負えない性格になりました。蹴ったり噛んだりします。ネアルコは、これまでに見られた中で最も獰猛な種牡馬の1頭です」と付け加えた。

 

「それでも!」と、マルチェロは懇願しました。牧場長は仕方ないと眉をひそめ、「まあ、自分の目で確かめると良いでしょう」と言いました。

 

牧場長はマルチェロを厩舎に連れて行き、鞭とロープを持った4人の牧童を伴いました。

「私たちは皆、ネアルコにはグループで応対することにしています。数日前、私の主治医の一人がネアルコに蹴られて入院しました」と牧場長は言うと、マルチェロは一人で行動しないと約束しました。

 

少しして厩舎の扉が開きましたが、ネアルコは自分の馬房にはおらず、高い塀に囲まれた美しい小さな芝生の放牧地に一頭の馬が出ていました。しかし、マルチェロはその馬がネアルコだと気づきませんでした。親愛なる友人ネアルコの首は倍の太さになり、身体のあらゆる部分から、動く筋肉の鎧が古い筋肉組織を包み込んでいます。それはドナテロの作ったガッタメラータとコッレオーニの巨像のようでした。そして反抗的な声がマルチェロの耳に雨のように降り注いでいました。

 

男たちの姿を認めると、ネアルコは顔を上げ、耳を伏せ、威嚇するように近づいてきました。マルチェロはもう我慢できませんでした。グループから離れ、ネアルコに走り寄ったのです。「引き戻せ!後ろに下がれ!」と牧場長は叫びました。ネアルコは頭を高く上げ、耳を立て、狂ったような目でマルチェロを睨みつけました。

 

マルチェロはネアルコに声をかけました。「親愛なるネアルコよ、ほら、ここだ」と、マルチェロは腕を腰に当てて輪を作りました。するとネアルコは立ち止まったのです。そして用心深く一歩を踏み出して、尻尾を振ったのです。それから謙虚に頭を下げ、首を伸ばし、マルチェロが用意した腕のアーチに難なく滑り込ませました。マルチェロは感動のあまり一つの言葉も出てきませんでした。

 

ネアルコはマルチェロの肩に鼻面をこすりつけながら、わずかに嘶きました。マルチェロがようやく「ネアルコよ」と声をかけると、ネアルコはきれいなピンク色の舌をとても愛情のこもった優雅さでマルチェロに差し出すと、彼は涙を流しました。

 

その日の夕方、牧場長はドルメロに電話をかけてフェデリコ・テシオに、

「信じられないような奇跡について話したい、私はこれまで、馬には記憶力がないと思っていました」と話始めました。