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Scopas

牡馬 1919年 イタリア産 鹿毛 

父Sun Star  母Spring Chicken 母父Gallinule

主な勝鞍(3歳~5歳)20戦以上15勝くらい

Gran Premio Jocke Club,Premio Chiusura,Premio Ambrosiano,Gran Premio di Milano,Coupe d'Or Meson-Laffitte(仏),Grosser Preis von Baden(独)など

 

イタリアダービーやミラノ大賞に勝利して国内で最初の目標を達成したテシオが、今度は自分の生産したサラブレッドが国外でどこまで通用するのかを試したくなるのは当然の事です。果たして競馬後進国イタリアの生産馬は、欧州のトップクラスで通用するのか?その重責を最初に担わされたのがScopasでした。

 

父Sun Starは英国産。鉱山王Jack Barnato Joelの持ち馬で1911年の英二冠を勝ち、種牡馬としてCraing an Eran(英2000ギニー)やBuchan(エクリプスS)、テシオが種牡馬として重用するGalloper Light(パリ大賞)などを輩出しました。

母Spring Chickenは愛国産。Major Eustace Loderの生産馬で1918年テシオがイタリアに輸入しました。その時、お腹にいたのがSunStarの子Scopasです。Spring Chickenは他に、Scuola d’Atene(Sanzioの母)、Scopello(デ・モンテルに譲る。Gran Criterium)、またScaramuccia(父Spearmint)の子孫はアメリカに渡り、子孫にジャックドール(大阪杯)がいます。

 

Scopasはデビューが遅れ3歳になってSan Siroに登場しました。初期の戦績は不明ですが、5月のDerby Italianoには僚友のMelozzo da Forliと出走。Melozzo da ForliはテシオのDerby Italianoの4連勝(9回目の勝利)を達成しましたが、Scopasは着外に終わりました。その後、小さな賞で勝利しますがPremio Principe Amedeo、St Leger Italianoなどの重賞ではまったく良いところなく終わりました。

 

ところが1922年10月、Gran Premio Jockey Clubに勝利するなり一気にスターダムにのし上がりました。1400mであろうが、2400mであろうと連戦連勝。そのまま翌年の5月まで一度も敗北することなくPremio del Commercioに勝利しました。そしてテシオは国外への遠征を決断します。目標はフランス、9月にメゾンラフィット競馬場で行われるCoupe d’Or de Maisons-Laffitte(2,000m)でした。

 

当時の欧州競馬のパワーバランスは、当然イギリスが抜き出ており、次いでアイルランドやフランス、ドイツ、ベルギーなども有名でしたが、イタリア競馬はまだ地方の競馬と見下されていました。ですから、あの”フェデリコ・テシオ”のイタリア国内で無敵の”Scopas”といえど「だから何?」の状態でした。

 

La Stampa 1923年9月27日号より

Una grande vittoria ippica italiana a Parigi

パリでのイタリア競馬の偉大な勝利



イタリア馬Scopas の偉大な勝利。フェデリコ・テシオが”Coppa d’Oro”で優勝しました。1923年9月26日、パリ。本日、メゾン・ラフィット競馬場は素晴らしい天気に恵まれました。その日の最も重要なレースは、Coppa d’Oro(距離2000メートル、賞金60,000フラン)で、スクーデリア・フェデリコ・テシオのイタリア馬スコパスと英国牡馬Glass Idolが参戦することにより、国際色豊かなレースとなりました。

 

午後1時。8頭の馬がスタートを切り、先ずSir Gallahad(後にアメリカに渡り、米三冠馬Gallant Foxなどを輩出する不世出の名種牡馬。Bull Dogの全兄弟)が先頭に立ちました。その後ろをGlass Idol、Scopas、Mirobolant、Gaurisankar、Bahadurが続きます。

 

淡々とした流れの中、一団が最後の直線に入るなりGlass Idolが先頭を奪いScopas、Bahadur、Mirobolant、Gaurisankarが追いすがりました。そのままタフなGlass Idolがゴールするかと思われましたが、正面スタンド前を通過するとき、遂にScopasが抜けだすなり後続を引き離してゆき、二度と抜かれることはありませんでした。なおScopasは、同厩舎で本年のPremio Regina Elenaの勝者であるDuccia di Buoningsenaを帯同して凱旋門賞に出場するために再びフランスに現れることでしょう。

 

結果

1着Scopas (58kg Regoli)

2着Mirbolant(59kg Semblood) 3/4馬身

3着Gaurisankar(61kg Williams)1馬身

 

私たちの同胞で、イタリア最大の生産者であるフェデリコ・テシオはメゾンラフィット競馬場において6頭のフランス馬と1頭の英国馬を相手にCoupe d’Orで優勝しました。トリノの人々がミラフィオリ競馬場で行われたPremio Omnium SubalpinoでMy Firstと素晴らしいレースを行ったScopasの雄姿を覚えています。

 

パリでのこの勝利は単なる馬の勝利だけでなくこれまでの歴史の勝利です。レースの結果が、私たちイタリア人を励まし慰めることになるでしょう。昨秋以来、イタリア国内で無敗を誇ったScopasは、かつてのイタリアのどの名馬たちよりも優れているかもしれません。

 

我が国イタリアのサラブレッド生産レベルはどの程度なのか。第一次世界大戦の影響により生産力の低下はあったのだろうか。今日、パリより届いた喜ばしいニュースがその答えなのです。イタリア人の生産者によりイタリアで産まれ、育てられたScopasがSir Gallahad(エクリプス賞、ジャックマロワ賞)、Bahadur(昨年のCoupe d’Or勝者)や英国から遠征してきたGlass Idolに勝ったのです。イタリアでは長く、国外への出走が行われてきませんでした。この栄誉は、トリノ出身のフェデリコ・テシオの知的で几帳面で、絶え間ない犠牲に満ちた仕事の結果なのです。

 

そしてテシオはScopasを凱旋門賞に出走させる計画をしています。凱旋門賞には、Epinard(イスパーン賞)、Filibert de Savoie(パリ大賞、仏セントレジャー。馬主はイタリア人のCesare Rannuci)らも出走してくるので、さらに厳しいレースになるでしょう。しかしその結果よりも、私たちはサラブレッドたちの幸福を願っています。そして、私たちの深い感動はフェデリコ・テシオに捧げられます。

 

ということで。これまで見下されてきたイタリア競馬が欧州で通用した。Scopasが、フランスやイギリスの名馬を破った、と絶賛されました。フランス側がどう捉えていたのかは分かりませんが、「なかなかやるじゃないか」ぐらいは思ったのかもしれません。

 

La Stampa 1923年10月9日号より

サプライズの凱旋門賞

 

10月7日の日曜日、パリ、ロンシャン競馬場で行われた凱旋門賞はParthが優勝。我らがScopasは5着に終わりました。

 

Parthの前走はイギリスのエプソムダービーで3着になりました。アメリカ人馬主のAbraham Kingsley Macomberはレース前日の土曜日にParthをロンシャン競馬場に運ぶ予定でしたが、運搬車が勘違いを起こしシャンティイへと運ばれてしまい、到着が大幅に遅れました。(事実なら勘違いというか、なんというか、アホか?と思いますがw)その為、Parthは大変ストレスが溜まり、落ち着きをなくしていましたが、調教師や騎手、何より馬主のマコンバーは彼を勝者にしたいと願い出走させることに決めました。

 

Abraham Kingsley Macomber

アメリカの大富豪。アメリカでWar Cloud(プリークネスS)など所有していたが、1911年アメリカで競馬が禁止されると、拠点をイギリスとフランスへ移転。同じアメリカ人富豪のヴァンダービルド家(後のNative Dancerの馬主と同じ一族)から欧州での牧場を譲り受けて、さらに発展させました。

 

何百万人もの観客と消費される大金。スタンドの大群衆はブローニュの森の端から端まで埋め尽くし、凱旋門賞を祝うすべての人たち。ロンシャン競馬場へ向かうすべての道を、何千もの車が覆いつくしました。パリ大賞と仏セントレジャーの勝者Filibert de Savoieの馬主Cesare Rannuciと懇意であるアオスタ公爵の姿もありました。

 

Scopasは弾力のあるギャロップを踏んでいます。Checkmateは快活で力強く騎手の手綱を噛みます。音楽隊のパレードがスタンド前を進みます。落ち着きを失っていたSan Pauloの為にスタートがなかなか揃いませんでしたが(当時は電気式のゲートがない、ロープ式)良いタイミングで、スタートは切られました。先頭に立ったのはBon Jeloudで、Filibert de Savoieがレースをコントロールしようとします。Scopas、CheckmateとMassineは併走しています。ロンシャンの上り坂も下り坂も順序が変わらず、決定的な戦いはストレートの入り口、最後の直線に委ねられました。

 

騎手たちの懸命のムチが始まりました。この時点でFilibert de Savoie、Checkmate、Massineはほぼ同軸上にあり、Scopasのレゴーリ騎手が馬群を抜けようと押しますが、前の馬が壁になり抜け出せません。混沌の中、F. O'Neill騎手に即されたParthが反応し他の馬を押しのけ先頭に立つとそのままゴールへ駆け込みました。2着には素晴らしいレースをしたMassineが、3着にはFilibert de Savoie、4着Checkmate、5着に我らのSopasでした。なお賞金のうち生産者へ送られる30,000フランは、Parthがイギリス生まれのため授与されませんでした。(そんなルールが当時はあったんですね^^;)まだ凱旋門賞にそれほど権威がなかった時代。英国の一流半の馬などがなんとなく出走してきて勝ってしまうのは、フランス人からすれば面白くはないでしょう。

 

後のRibotで凱旋門賞を連覇するまで、この凱旋門賞5着がテシオの最高記録でした。Ribotの勝利はテシオの死後のことですから、生前のテシオにとってはこのScopasでの5着が最高記録でした。この後Scopasは帰国して年内に2戦ほど走り勝利して4歳を終えました。

 

5歳も現役を続けることになったScopasは、再び国外でのレースを目指します。しかし、5月のGran Premio di Milanoでついに国内での連勝記録が途絶えます。(勝ったのはDerby Italianoで、テシオのGiambolognaを破ったManistee’)Scopasの調子が心配される中、8月ドイツのBaden-Baden競馬場で行われるGrosser Preis Von Baden(2,400m)に出場しました。

 

 

La Stampa 1924年8月30日号より

フェデリコ・テシオのScopasがバーデン・バーデン競馬場にて見事な勝利。

 

本日、ドイツの最高の名馬たちとイタリア最強馬Scopasのレースが行われました。Scopasがイタリア国内において最高であることは周知ですが、スクーデリア・テシオとドルメロ牧場への期待はもっと大きかったと言えるでしょう。先日、Scopasの半弟にあたるScarsellinoの敗北は悪い予感のような気配にも思えました。

その予感を薙ぎ払うように、先ず前座レースのFürstenberg-Rennen(2,000m)においてテシオのRosalba Carrierが勝利しました。そしてメインレースのScopasは驚くほど容易に勝利しました。最初のコーナーで先頭に立ったScopasは、そのまま楽に後続を離していきます。最後の直線、グランドスタンド前において一団からGanelon(昨年の同レースの勝者)が抜け出し追いますがScopasは6馬身差をつけて1着でゴールしました。

 Scopasは前走のPremio Omniumに次いで連勝。ドイツの競馬界ではこのレース結果は非常に屈辱的な敗北と判断されるかもしれません。

 

 Scopasはこのドイツでのレースが最後となりました。イタリアへの帰国の汽車の中でテシオは珍しく喜びを表していたと言います。そしてこのテシオの勝利を皮切りに、イタリアのサラブレッドは欧州において勝利を挙げて行きます。Ortello、Crapom、Apelleなどなど。Scopasは、これまでイタリア国内においてサラブレッドの熟成に徹したテシオの、国外への挑戦が始まる契機となる名馬でした。

 

なお。何がいけなかったのか。Scopasは種牡馬としてはまったく期待外れに終わりました。

 

おまけ

<イタリアの凱旋門賞への挑戦>

1923年 Scopas  5着 Tesio

1926年 Apelle  6着※テシオ売却後

1929年 Ortello 1着 de Motntel

1930年 Ortello 4着 de Montel

1932年 Fenolo  5着

           Sanzio 着外※生産はテシオ。馬主はLヴィスコンティ

1933年 Crapom 1着

1946年 Fante  6着

1947年 Fante  4着

1948年 Astolfina 着外

           Trevisana 着外

1955年 Ribot 1着

1956年 Ribot  1着

1961年 Molved 1着

1988年 Tony Bin 1着

※1着以外などで他にいると思います。

 

騎手でいえば、パオロ・カプリオーリが2勝(オルテロ、クラポム)、エンリコ・カミーチが3勝(リボーで2回、モルヴェド)で、ランフランコ・デットーリが6勝(ラムタラ、サキー、マリエンバード、ゴールデン・ホーン、エネイブルで2回)、そしてクリスチャン・デムーロ(ソットサス、エースインパクト)が2勝しているので、イタリア人騎手と凱旋門賞は案外相性が良いのかもしれません。

 

 

参考

La Stampa Archivio

galopp-sieger

il Mito Tesio

google Books

などなど。